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?俳廻は? (上(右)から下(左)から讀んでも同じ) 『雜俳考』 近江不忍(あふみのしのばず・Oumino Sinobazu)

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俳人と呼ばれたくない俳諧師 img031

 

緒言

 

 勘のいい讀者はもうお解りだらうが、實(じつ)は、 

 『俳廻は』

 といふこの題名(タイトル)も廻文となつてゐて、パロオル(話し言葉)では、

 「はいかいは(haikaiha)」

 となり、エクリチユウル(書き言葉)でも現代假名遣(げんだいかなづかひ)だと同じであるが、それが歴史的假名遣(字音假名遣)だと、

 『俳廻(はいくわい)は』

 と表記をするので廻文としては成立してゐなくなつてしまつて、まことに殘念至極である。

 さうして、ここでは曲がりなりにも廻文の氣分を味(あぢ)はつて戴かうと、筆者の造語である、

 『俳廻』

 といふ題名を使用したが、本來は廻文による發句を、

 『廻句』

 と呼びたいと考へてゐる。

 當然(たうぜん)、これも筆者の造語であるが、この名稱(めいしよう)が人口に膾炙されるならば幸甚である。

 

 

 人間といふ動物は、他の動物に比べて壽命が長いやうに思はれる。
 大體(だいたい)が個の存在は、種の存續の經過的な形態としてあり、
昆虫のオスなどはメスと交尾したあとは、養分として食べられてしまひ、
 次の世代に命を繋ぐ個としての役割を甘んじて受入れてゐる。

 さういふ意味において、無駄に長生きをする人間はなんの爲に生きるのか!
 勿論、愉しむ爲以外には有得ないと言つても差支へないと言へるだらう。
 遊びこそは人間に許された、究極の智的な快楽であらう。

 例へば、文學では、廻文といふものがあり、音樂では、バッハに次のやうな作品がある。

 ∫

J・S・Bach

琴(KOTO)による

音樂の捧げもの 逆行カノン

 

A、この提示された楽譜は、最後まで行くと逆行して最初まで戻るのである。

 ∫

J、S・Bach

尺八(SYAKUHATI)による

音樂の捧げもの逆行カノン 

 

 

B、これは最後から逆行して最初まで行くと、また逆行して最後へと戻るのである。

 さうして、この次が(A)と(B)を合せた音樂で、これは廻文(廻音)にはなつてゐないが、高度な遊びだとは言へるだらう。

 ∫

J・S・Bach

KOTO(琴)とSYAKUHATI(尺八)による

音樂の捧げもの 逆行カノン 

 

 ∫

 バッハには、この外にも、

  『音樂の捧げ物』

 に、「螺旋フウガ」と言つて、一つの旋律が「ド」から始まつて、「レ」から順に音階が上がつて行き、上の「ド」の音に辿り着いて終るといふ螺旋階段のやうな曲もあり、 この外いろんな遊びを、たつた一つの旋律でくり廣げるのである。

 また、

 『フウガの技法』

 では、「Bach」といふ名前を音名に當嵌(あては) めて、對旋律(たいせんりつ)として曲を作つてゐるし(但し未完)、

 『マタイ受難曲』

 では、イエスキリストが十字架に架けられた場面では、 樂譜上で十字架の形になるやうに筆記されてゐたり、 と遊びまくつてゐる。

 

 ∫

雜 俳 考

 俳諧の中には『雜俳』といふものがあるが、それは、

 「前句附(まへくづけ)・冠附(かんむりづけ)・沓附(くつづけ)・折句(をりく)(岩波古語辞典)より」

 などといふものの總稱(そうしょう)の事である。
 先づ、「前句附」とは何かといふと、

 『短歌に於ける上句または下句のいずれかを課題として、一半をつけて一首に纏めたものの事であり、例を掲げれば、
   
   鳥ない里の其方(そち)は蝙蝠(かうもり) (前句或は課題)
   いろは知る妹(いも)は家内の文殊也   (附句)

 これが前句附というもの (国文学史の研究 塩田良平)』

 で、川柳はここから派生した樣式(ジヤンル)であるのだが、俳諧の連歌の一部を切取つたものと思へば間違ひはないだらう。
 次の「冠附」といふのは、

 『五文字を課題として、七五句をつけて一句に纏めたもので、

    まんまるな (冠)
    でべそをかしき昼寝哉 (附句)

 このようなものを「冠附」という (国文学史の研究 塩田良平)』

 三つ目の「沓附」は、

 『「前句附」と同様に五文字を課題とするが、違うのはその五文字が下句にあって、上句と中句に五七句をつける所である (国文学史に研究 塩田良平)』

 次の「折句」は、

 『三文字を与えられて、その字を各句の冒頭に置くもの (国文学史の研究 塩田良平)』

 で、例へば「ゆたか」といふ文字に、

    (ゆ)ふだちや (田)をみめぐりの (神)ならば 其角

 と詠む類(たぐひ)のものであるが、これは短歌の場合には「五文字」を貰つて、その各句の冒頭に詠み込むといふものがあるし、「十文字」を各句の「冠」と「沓」に詠み込むといふ凄いものまである。

 この『雜俳』の中に、餘り知られてゐない「廻文」といふ面白いものがある。
 「廻文」とは、上から讀んでも下から讀んでも同じ文章になるものの事で、一般によく知られてゐるものに、次のやうなものがある。

 たけやぶやけた(竹藪燒けた)

 このよく知られた一文は、上から讀んでも下から讀んでも同じ文章であるが、これを「發句」若しくは「短歌」で詠まうとすると可也難しく、御負けに、一般の文章と「發句」や「短歌」との區別が附け難(にく)いので、「發句」は『廻句』と呼び、「短歌」は『廻歌』とここでは稱する事にする。
 筆者の手持ちの資料の一部を示せば、『廻句』には次のやうなものがある。

     池の端(は)に雪やはや消ゆ庭(には)の景

     木か竹か見すかす霞影高き

     神の留守遠く吹く音するのみか

     啄木鳥(きつつき)の飛ぶや小藪と軒つづき

     消ゆるこの山の木の間や殘る雪

     草の名は知らず珍(めづら)し花の咲く

     下駄はくな鶯(うぐひす)低(ひく)う啼く畑

 以上は『修養全集第三卷(金言名句 人生畫訓)』から引用したもので、『廻句』は全部で十四句あり、相撲の番附表を借りて記されてゐ、東西の横綱はいづれも短歌が場所を占め、「池の端は」と「神の留守」のニ句は前頭に位置されてゐる。
 創作するのが更に難しいだらうと思はれる、前頭から横綱までを占める『廻歌』は、全部で十二首掲げられてゐるが、その外に單なる「廻文」といふものが四つあり、これらの文章は歴史的假名遣でなければ成立し得ないもいので、「じ」と「ぢ」や、「ず」と「づ」の違ひを書分けられないものや、濁點の問題(嘗ては濁點を記さない表記が主流であつた)もあつて、音聲に頼るといふ意味では現代假名遣でなければ、うまく表記出來ないと事も考へられるから、こんにちでも創作する事が可能であると言へるのではあるまいか。

 どなたか作つてやらうといふ物好きな方はゐないだらうか。

 最後に、『修養全集第三卷(金言名句 人生畫訓) 大日本雄辯會講談社』からの「廻文番附」を掲載したいのは山々なのだが、著作權の問題もあるのでそれは差控へて、その換りに、『廻句』・『廻歌』を讀者諸氏から應募したいと思ふので、どしどし寄せられん事を願ふ次第である。

 

 

     今朝死んだ母が我が母男子酒  不忍

 

 

 

2、廻 句(廻文による發句)

 

 前囘は、

   今朝死んだ母が我が母男子酒 不忍

 

 といふ發句を掲載しましたので、新作として次の句を發表します。

 

   池の邊の蟲をや惜しむ野邊の景 不忍

 

 

3、廻文による發句

 

   今朝にこそ躑躅恥つつそこに咲け

 

 

 この『廻句』には問題點(もんだいてん)があつて、それは、

 『躑躅・恥』

 といふ二つの言葉を現代假名遣で振假名(ルビ)をつければ、

 『躑躅(つつじ)・恥(はじ)』

 となるので、

 「つつじはじつつ(躑躅恥つつ)」

 であるから、『廻句』として問題はないのだが、筆者の基本とする表記法である歴史的假名遣にすれば、

 『躑躅(つつじ)・恥(はぢ)』

 となつて、

 「つつじはぢつつ(躑躅恥つつ)」

 となつてしまふからである。

 讀者の中には、細かい事を氣にしなくても良いのぢやないかといふ人があるかも知れないが、作品の出來としては納得してゐる譯ではない。

 それといふのも、前囘の廻句で、

 

 

   池の邊の蟲をや惜しむ野邊の景

 

 といふのを發表したが、この時は歴史的假名遣で、

 『惜(を)しむ』

 と表記したからこそ、

 「むしをやをしむ(蟲をや惜しむ)」

 と、『廻句』としての完成度を手に入れられたのであるが、これが現代假名遣だと、

 『惜(お)しむ』

 となるので、

 「むしをやおしむ(蟲をや惜しむ)」

 となつて、『廻句』としては不完全なものとなつてしまふ事になる。

 これは、今後も起こり得る問題で、

 「じ・ぢ」
 「ず・づ」
 「は・わ」
 「お・を」
 「じや・ぢゆ」
 「う・ふ」
 「て・ちや・ちよ」

 これらの現代假名遣と歴史詩的假名遣、さらに字音假名遣の表記法の差によつて生じる混在(こんざい)が、吉と出るか凶と出るかで、今後の『廻句』としての存續(そんぞく)が左右されると考へてゐるのだが、それよりも何よりも、これ以降に發表するだらう筆者の作品にも、このやうな問題を孕んでゐる事は返す返すも殘念な事である。
 といふのも、時に應(おう)じて、都合良く立場を使ひ分けるのは、實(まこと)に忸怩(ぢくぢ)たる思ひがするからである。

蝙蝠(かうもり)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52750695&comm_id=4699373

 

4、廻文による發句

 

   水澄まし知らず珍し島涼み

 

 この『廻句』も、前囘よりも更に増えて二箇所の問題がある。

 『水・涼み』
 『知らず・珍し』

 これらのそれぞれが、

 『みずすまし(水澄まし)・涼み(すずみ)』(現代假名遣)
 『みづすまし(水澄まし)・涼み(すずみ)』(歴史的假名遣)

 となり、もう一つも、

 『知らず(しらず)・珍し(めずらし)』(現代假名遣)
 『知らず(しらず)・珍し(めづらし)』(歴史的假名遣)

 となつて、

 「みずすまししらずめずらししますずみ(水澄まし知らず珍し島涼み)」(現代假名遣)

 このやうに現代假名遣だと完璧だが、

 「みづすまししらずめづらししますずみ(水澄まし知らず珍し島涼み)」(歴史的假名遣)

 歴史的假名遣だと、

 「みづ・みず」
 「らず・らづ」

 と疵が目につく事になるのである。
 實に殘念な事である。

 

 

5、廻句(廻文による發句)

 

 久し振りの「廻句」も、歴史的假名遣だと、

 「川(かは)」
 「墓(はか)」

 となるが、現代假名遣だと、

 「川(かわ)」
 「墓(はか)」

 となつてしまふ。

 

 

   川の邊の雪春は消ゆ野邊の墓 不忍

 

 

6、廻句(廻文による發句)

 

 この句は現代假名遣でも歴史的假名遣でも、字音假名遣でも影響を受ける事なく、さらに濁點(だくてん)の有無も關係なく廻し讀み出來ます。
 このやうな事は幾つか作つてゐても珍しことです。

 
   妻ぞ來つ堤を見つつ月ぞ待つ 不忍

 

 

7、廻 句(廻文による發句)

 

 廻文で文章を作るのは、言葉足らずにならないやうにするのが難しく、それが普通の文章でもさうなのに、發句となると中々に骨が折れるのだが、短歌になれば言葉を操るのが一層の困難を強いられることになる。
 

 それでも作る樂しみには抗し難く、ついつい言葉遊びに興じてしまふ。

   問ひ長閑ふいに何いふ門の人 不忍

 

 

 

8、廻句(廻文による發句)

 

 比喩のうまかつた、立川談志が死んだ。
 彼の落語をそれほど聞いたことがなく、『笑点』での活動以外はどちらかといふと問題兒としての逸話(エピソオド)しか記憶に殘つてゐない。
 好みとしては敬遠氣味であつたが、孤高を貫いて成し遂げたといふ感は強い。

   極楽湯談志が死んだ逝く落語 不忍

 

 他の人ならば兔も角、彼なればこんな戯言(ざれごと)も許してくれさうだと思つて發表することにした。

 

 

9、廻文による發句

 

   問ふて讀みやる氣よぎるや見よ蝶と 不忍

 

 冬の季節だといふのに、横の生垣に蝶(てふ)が飛んでゐた。

 『廻句』とは言へ、句意の整合性を問はれなくても構はないといふ譯では固(もと)よりない。

 戀うる思ひが抑へ難く、相手の氣持が那邊(なへん)にあるのかを問ふてみる。

 それによつて生きる希望も湧いて來ようといふものだが、けれども、花から花へと蜜を求めて飛交ふ蝶に似て、その心は捉へる術(すべ)がないので狂ほしい事である。

 といふやうな事を意識した事と、中句の「氣(き)」と「ぎ」の濁點のあるなしが問題視されるかも知れないが、それは歴史的には古來「濁點」を表記しなかつたといふ事で切拔けようといふ腹積もりでゐるものの、やはりこれは苦しい歟(か)。

 この句を提示する今は冬であるが、「蝶」は季語としては當然(たうぜん)春である。

               二〇一四年十二月十四日(日)

 

 

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10、廻文による發句

 

 

   山に來つ妻宿屋待つ月に麻耶 不忍

 

 二〇一四年の十一月六日から七日にかけて、四人の子供達から結婚四十周年の記念として『オテル・ド・麻耶』へ一泊二日の贈物(プレゼント)をしてもらつた。

 この「廻句(廻文による發句)」は、その時の事を思ひ出して作つたものである。

 

 

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二〇一五年二月十二日

 

 

11、廻文による發句

 

一月二日

 

   夜は更けはて目覺めては今日春よ 不忍

 

  よ るはふけ   はてめざ めては  けふはるよ

C♪♪♪♪ †ζ┃♪♪♪♪♪♪ †┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 「初夢」といふものがあるが、これは新年の夜に見る夢で一年の吉兇を占ふものではあるものの、それでは正月の何日の夜に見るものであるのかといふと諸説あつて、新年の最初に見る夢であるからといつて、必ずしも一月一日の元日の夜に見るものといふものではなささうである。

 もつと言へば、大晦日の夜から元日の朝までに見る夢をいふ譯でもないやうである。

 然(しか)らばいつになるかといふと、どうやら現在では二日から三日の夜に見る夢とされてはゐるが、それだとて、

 「大晦日から元日」

 「元日から二日」

 「二日から三日」

 といふいづれの日かを決定してゐるとは思はれず、曖昧な事この上ない。

 とは云ふものの、この日と決定したとしても、その夜に夢が見られると確約された譯のものではないので、これらの日のどれかの夜に見た夢を「初夢」と呼ぶ事で問題はないやうに考へられる。

 第一に、それ程に重きを「初夢」に托さなくても良からうもののやうに思はれる。

 尤も、文献での「初夢」の初出は鎌倉時代と言はれ、そこでは新年ではなくて節分から立春の夜に見る夢を指してゐて、これは『若水』の場合と同じであつた。

 また、「初夢」には、

 「一富士二鷹三茄子」

 といつて縁起が良いものを表す諺がある。

 更に、良い夢を見るには「七福神」の乘つてゐる寶船の繪とか、 

   長き夜の遠の眠りの皆目覺め

   波乘り船の音の良きかな

  といふ廻文の歌を書いたものを枕の下に入れて眠るのが良いとされたといふ。

 けれども、これでも惡い夢を見た場合には、翌朝に寶船の繪を川に流して縁起直しをしたとある。

 斯(か)くて、筆者も廻句などせむと試みん。

 さればの一句が上記のもので、この句の下句の「春」とは、言はずと知れた「新春」の事である。

 

 

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初 夢

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