敍事短歌(Tanka epic)初稿版(First edition)
『愛二飢タル男Love-hungry man(AIUEO)』
全四部(Total 4 copies)
∫
Mozart
和樂器による鎭魂歌
requiem Japanese instrum
第一部 「ゆきずり」
あえかなる
愛しき人の
うしろ影
えて忍ぶれば
おきどころなし
かげろうの
気にせぬごとき
くさまくら
希有(けう)に旅さえ
恋は止むる
さわやかな
しつとり雨は
すがのねの
せつなも長く
退(そ)きに春の日
たたずめば
ちじの愁いは
つくずくと
寺に縁(えに)なき
ときめく恋や
ながき雨
にわかに野辺へ
ぬれ行かば
ねがわし君は
野中にまどわん
はからずも
ひとり君がさす
ふるまいは
へつらいなくも
ほそき傘寄す
まなざしの
見蕩(みと)るるものは
むらぎもの
めざす心ぞ
もの雨言わず
やわらかき
いたみを胸に
ゆくみずは
えや留めかねつ
世の恋と消ゆ
らくように
旅情をすてて
るい月の
歴然とはや
ろうろうの身ぞ
わびしさに
いつか出(いで)たる
浮雲は
えせ幸(さいわい)を
お知えてつきせ
ん
∫
第二部「さすらい」
あわんとす
いとも苦しき
うつくしさ
縁(えに)ぞあらんと
思いしもがな
かなしかり
きく術(すべ)もなく
暮れ行かば
けだかき君の
こころぞいずく
さびしさを
知らさんと夜(よ)に
硯(すずり)もて
せつなく書きて
そつと破りぬ
たずぬれば
ちぎりて人の
妻なりき
天に地にあり
永遠(とわ)のかなしみ
なきぬれて
二度も涙を
ぬぐいけり
眠れぬ夜(よ)さは
のがのい行かん
はげしくも
ひちきわ赤く
ふくみたる
へんなる痰(たん)の
ほとばしりたり
まぼろしの
乱れし恋の
むなしさは
めぐり逢わんと
もだえたるのみ
病(やまい)もつ
命なりしを
委(ゆだ)ねんと
えならぬ君に
寄そり行かばや
らくじつに
旅情もつきて
流浪せん
恋慕の情に
ろうさるるとも
わかくさの
いまは夫(つま)をさ
うしないし
えさらじ君を
思いて乱れ
ん
∫
第三部「たましい」
あうことを
いまも思えど
うき運命(さだめ)
えがたき恋の
思いを花に
かくれけり
君の知りたる
くれないの
けさ見た花ぞ
恋の散るごと
ささげたる
知らぬ花さえ
涼しさに
せんないことと
そは散りにけり
ただ今は
散りたる花を
つみかさね
手なぐさみにと
時を過ごさん
名を知らぬ
庭に散らした
ぬすみ花
根はなけれども
野によみがえれ
はぐくみし
ひかげの花の
ふかき色
へんにかなしく
頬になみだ出(い)ず
まことなれ
見知らぬ花の
むらさきは
目にこそ匂う
もえ褪(あ)せぬ恋
やすらかな
色はかわらじ
夕ぐれに
枝をはなれて
よごれ落つ花
らくばくや
繚乱(りょうらん)とせし
るり色の
れいれいしき花を
路傍に見つつ
わくらばや
いのちなりける
うそぶるい
えしも散れるな
おもき風ふか
ん
∫
第四部「いずこへ」
あいたさに
いざ立ちめけや
うらこいし
絵を書くいまも
おもいは君ぞ
かぞえれば
君をおもいて
くらしける
けさまでの日の
こころかなしも
さいはての
城の跡にて
すごしけり
せぐる涙よ
空は青かり
たびぞらに
ちからつきたり
罪ふかく
手すさぶ草ぞ
とまる宿なし
なにがなし
にぎわう里を
ぬけにけり
根の国へひとり
臨むがごとく
はかなきは
ひとり身ゆえに
ふく笛ぞ
へだたる君を
星もうつさん
まどろみて
身籠る君と
むら里に
夫婦(めおと)となりて
もとな目ぞ覚む
やるせなし
いまだに恋は
ゆるされず
縁(えに)なき君は
世を去りにけり
らちもない
流木に見し
流浪の身
連理の枝も
蘆生(ろせい)の夢ぞ
わが夜(よ)さに
いまこそ去らん
うつせみの
縁なきこの世
惜しくもあらな
ん
∫
「後 書」
この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)の
『Motion1(Cembalo)』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は服部緑地にある、
『天竺川堤防』
へ出かけた時のものです。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。
初稿版 愛ニ飢タル男 「後 書」
一つの制約の中で、人間は一体どれだけの事が出來るものであろうか。私はそれを試して見る心算で、これを書いた。
私は可成苦心した。一つの物語として、短歌を使って見たのは莫迦気た事かも知れないが、私としては必死の方であった。
中でも、困ったのは「らりるれろ」の行である。
これは言葉が非常に少なかった。
物語とする為に、多少意味の不可解な所が出来たかも知れない。それに、題には苦心を払った。
尤も副題は別だが。
「愛飢男」を「哀飢男」とするか否かというのに、多少戸惑ったのであるが、結局、今のようなものに落着いた。
短歌とか發句というものは、一般では難しいという觀念があるやうだが、そうでもないという事を知ってもらえば幸甚である。
何しろ、下らないきっかけからこれを創るようになったのだから、第一、「あいうえお」を順に並べて行くという事自体が、巫山戯(ふざけ)ているし、莫迦にしているように思われるかも知れないが、これは、私は読んだ人の批評に任せて、敢て、その事には触れずにおく。
物語を、青年インテリの好みそうな物に創ったと思えば腹も立つが、そうは思っていない。
又、このようなものを「折句」といって、これは道楽であって芸術とは別にされるものだが、私はこれを道楽で書いたのではない。或は、私はこれを芸術として書いたのでもないかも知れない。尤も、藝術といっても今日的なものとしての意味だが。
偉そうに、一つの制約の中で、人間はどれだけの事が出來るものであろうか、などといってはいるものの、何にせよ、こんな作品を書いたという事は、私が如何に閑人(ひまじん)であるかという事を証明したという事にほかならないようである。
昭和四十四年五月十四日 午前三時頃(原文の儘)
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敍事短歌(Tanka epic)完全版(Full version)
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第一部(The first section) ゆきづり(Love of casual)
http://murasakihumio.blogspot.jp/2012/01/mozart-requiem-kyrie-yamaha-qy.html