詩と和歌の世界:紫不美男
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五、廻 歌(廻文による短歌)
Original(自作)完全版
WHITE FAIRY(SNOW)「白い妖精」
雪見たか空しくもふと待つ時と
妻問ふも櫛なむ形見消ゆ
改めてひとつに纏めたので、新作を發表しようと思ふ。
短歌ともなると可成苦しくて、出來が良いとは言へないかも知れないが、
「雪を見てこんな日に亡くなつた妻を思ひ出さずにはゐられず、さういへば愛用の櫛もこの雪のやうに果敢無く何處かへ消えてしまつたが、未だに心の中には妻の俤が殘つてゐて、この白い雪を見てゐるとそれを引摺つてゐる自分に氣がつくのである」
といふやうな物語の世界にひたつてしまふ。
二〇一四年十二月十八日(木)午前三時 店にて記す
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人間といふ動物は、他の動物に比べて壽命が長いやうに思はれる。
大體(だいたい)が個の存在は、種の存續の經過的な形態としてあり、
昆虫のオスなどはメスと交尾したあとは、養分として食べられてしまひ、
次の世代に命を繋ぐ個としての役割を甘んじて受入れてゐる。
さういふ意味において、無駄に長生きをする人間はなんの爲に生きるのか!
勿論、愉しむ爲以外には有得ないと言つても差支へないと言へるだらう。
遊びこそは人間に許された、究極の智的な快楽であらう。
例へば、文學では、廻文といふものがあり、
音樂では、バッハに次のやうな作品がある。
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J・S・Bach
琴(KOTO)による
音樂の捧げもの 逆行カノン
A、この提示された楽譜は、最後まで行くと逆行して最初まで戻るのである。
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J.S・Bach
尺八(SYAKUHATI)による
音樂の捧げもの逆行カノン
B、これは最後から逆行して最初まで行くと、また逆行して最後へと戻るのである。
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J・S・Bach
KOTO(琴)とSYAKUHATI(尺八)による
音樂の捧げもの 逆行カノン
これが(A)と(B)を合せた音樂で、これは廻文(廻音)にはなつてゐないが、高度な遊びだとは言へるだらう。
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バッハには、この外にも
『音樂の捧げ物』
に、「螺旋フウガ」と言つて、 一つの旋律が「ド」から始まつて、「レ」から順に音階が上がつて行き、上の「ド」の音に辿り着いて終るといふ螺旋階段のやうな曲もあり、 この外いろんな遊びを、たつた一つの旋律でくり廣げるのである。
『フウガの技法』
では、「Bach」といふ名前を音名に當嵌(あては)めて、對旋律(たいせんりつ)として曲を作つてゐるし(但し未完)、
『マタイ受難曲』
では、イエスキリストが十字架に架けられた場面では、
樂譜上で十字架の形になるやうに筆記されてゐたり、
と遊びまくつてゐる。
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一、廻 歌(廻文による短歌)
君やそこ眠るは空し柔肌は
はや死なむ春胸こそ病みき 不美男
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二、廻歌 『廻文による短歌』
今虚しああ人の世の問ひかけか
人の世の問ひああ死なむまい 不美男
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三、廻歌(廻文による短歌)
白雲の妻よ來よ待つ柔肌は
はや妻よ來よ待つ野も暗し
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四、廻歌(廻文による短歌)
今囘は意味的に鳥渡(ちよつと)苦しいかも……。
からくさの名は知らぬらし君病むや
幹知らぬらし花の櫻か
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五、廻 歌(廻文による短歌)
Original(自作)完全版
WHITE FAIRY(SNOW)「白い妖精」
雪見たか空しくもふと待つ時と
妻問ふも櫛なむ形見消ゆ
改めてひとつに纏めたので、新作を發表しようと思ふ。
短歌ともなると可成苦しくて、出來が良いとは言へないかも知れないが、
「雪を見てこんな日に亡くなつた妻を思ひ出さずにはゐられず、さういへば愛用の櫛もこの雪のやうに果敢無く何處かへ消えてしまつたが、未だに心の中には妻の俤が殘つてゐて、この白い雪を見てゐるとそれを引摺つてゐる自分に氣がつくのである」
といふやうな物語の世界にひたつてしまふ。
二〇一四年十二月十八日(木)午前三時 店にて記す
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