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徳沃夏克(ドボルザアク・Dovorak・1841-1904)の音樂 高秋美樹彦(たかあき みきひこ・Takaaki Mikihiko)

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I’ve made it with SEQUENCERS of “YAMAHA QY100” this song.
この曲は「YAMAHA QY100」のSEQUENCERSで私が作りました。

YAMAHA QY100による

徳沃夏克(ドボルザアク・Dovorak・1841-1904)の音樂

 

played by bottle

Dvorak

Cello Concerto in b minor

1 Mov Op 104

Dvorak Cello Concerto in b minor 1. Mov. Op. 104
徳沃夏克(ドボルザアク・Dovorak・1841-1904)

チェロ協奏曲 ロ短調 作品104

これは『YouTube』での二百一曲目のアツプである。
獨奏樂器のチエロだと良い音で鳴らないので、「ボトル」といふ樂器で代用してゐる。
この曲の七小節目のフルウトは二分音符と四分音符が二つの四拍子なのだが、四分音符二つの二拍の所が、附點四分音符と八分音符の二拍として演奏させてしまつてゐる。
一つにはCDからのものではないといふ事を傳へたかつたからと、作曲者には惡いがこの方が良いと思つたからである。

 

小曽根秋祭り

Dovorak

Symphony No 8 3rd Mov

 

 

十月十二日
   燈明に人寄る宵の秋祭 不忍 

 今日は店のある豐南町と自宅の小曽根にある町内會との兩方が秋祭であつた。
 去年は店の豐南町の長島太鼓の神輿を二日に渡つて追ひかけたが、それを見て我が町内會もとの依頼があつたので、また二日間の撮影に出かける事にした。
 その宵宮が今日だつたのである。
十月十三日
   魂入れて祝ひの獅子舞ふ秋祭 不忍

 「魂(たま)入れ」とは小曽根の秋祭の本宮には獅子舞ひが出るので朝から住吉神社へ獅子に魂を入れて貰ふ事で、そこの神主さんに聞くとそれを「神幸祭」と云つて、その後で在所を廻って無病息災・家内安全を願ふといふ。
 獅子は可成(かなり)廣い區域の町内を巡行して舞ひながら、辻々で早驅けをして獅子の勢ひを見せて町内から惡靈を追拂(はら)ひ、家に子供がゐれば頭を噛んで元氣を與(あた)へて行く。
 さうして一定の場所に設けられた土俵上で獅子の『立舞ひ』を披露して見物人の厄を落すやうに華やかに勇壮に踊る。最後に神社で魂を返す「還幸祭」で無事に行事は終る。

   獅子が來て幸ふるまふや秋祭 不忍

 昨日に續いて秋祭りの獅子の句であるが、餘程氣になつたのかあの強烈な印象が消えさうもない。
 殆ど朝九時から夜の十時頃まで撮影に同行したので無理もない。
 因みに「獅子舞」は新年の季語である。

二十六、『獅子』に就いて 『言苑』より

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4699373&id=75078635

 

服部神社 節分追儺式

Dvorak

Slavonic dance No. 10 in E minor

Op. 72-2 

 

今囘は作品を仕上げるのに一箇月近くもかかつて仕舞つた。
映像はすでに撮影してゐて、
その時に音樂もかういふものをと見當をつけて選別してゐたのだが、
『YAMAHA QY100』で音樂を打込むのに、近所の町會の行事(イベント)やこの頃にはカラオケの撮影まで依頼されるやうになつたりなどと、いろいろな用事で時間を要してしまふのである。
だからといつて、それに掛りつ切りだと一日、二日で濟むかといふとさうはいかない。
何故なら、根氣といふものが續かないからである。
といふ事で、結局は一箇月弱といふのは穩當(をんたう)な所なのであらう。
二月三日

   服はず鬼と名づけしや追儺の儀 不忍

六世紀頃に中國の死靈を意味する鬼(き)が日本に入つて、日本固有の「おに」と重なつて『鬼』になつたいふ説があるが、語源的には姿が見えないといふ『隱(おに)』から派生したものだといふ。
それ以前には「もの」と呼んでゐて、「怨靈・死靈」の類(たぐひ)であつたが、陰陽思想や淨土思想とも習合(しふがふ)し、閻魔大王の獄卒であるともされるが、役行者(634-701傳)には「前鬼・後鬼」といふ使ひがをり、藤原千方にも使役された「金鬼・風鬼・水鬼・隱形鬼(怨京鬼)といふ四人の鬼がゐたといふ。
一方で、憎しみや嫉妬の念から人が鬼に變化(へんくわ)するといふ説もあるが、朝廷にとつて無用者或いは不都合な存在、則ち「服(まつろ)はぬ民」を鬼とする事で排除しようとした傾向も窺はれるやうに思はれる。
これは飽くまでも私見であるが、「鬼子」といふ形で僻地に追ひやる口實としたのではあるまいか。
「順(まつろ)はぬ民」とも書かれる得體の知れない存在を「邪鬼」と呼ぶ事で忌み嫌つたりするが、さうであるといふ事は逆に恐れてもゐた證據(しようこ)で、朝廷に逆らつた平将門(?-940)や左遷された地で沒した菅原道眞(845-903)などは、死後に怪異現象が現れた事から、その怨靈を鎭める爲に御靈(ごりやう)として祭られてゐるのである。
また、「鬼」は頭に一本若しくは日本の角と卷毛の頭髪、口には牙と指に鋭い爪、虎の毛皮の褌に金棒を持つた姿を想像するが、角が牛で、牙と爪と毛皮が虎で、これは「丑(牛)」と「寅(虎)」の間の方角である「艮(うしとら)」を鬼門と呼ぶ事に由來するものであるといふ。
追儺(ついな)は宮中の年中行事の一つで、大晦日の夜に惡鬼を拂(はら)つて疫病を除く、平安時代から行はれてゐる儀式として「鬼遣(やらひ)」とも呼ばれてゐて、節分の起源とも言はれてゐる。
   青き目も豆撒きを見し神社かな 不忍

節分は「せちぶん」ともいふ雜節の一つで「季節を分ける」ことを意味し、各季節の始まりの日の「立春・立夏・立秋・立冬」の前日の事であるが、一般的には江戸時代以降から立春の前日を指すやうになつたやうである。
また、邪氣除けの柊鰯(ひひらぎいわし)などを飾り、「福は内、鬼は外」と聲を出して福豆を撒き、年齡の數だけ豆を食べる厄除けを行ふ。
但し、一粒多く食べる場合もあるといふが、これらは地方や神社などで異なつてゐる。
それといふのも、季節の變り目には邪氣(鬼)が生じ、その悪靈を追拂ふ行事として執り行はれるやうになつたのであるが、『延喜式』によれば、宮中で牛と童子の人形を大寒の日の前夜半に大内裏の各門に飾つて、立春の日の前夜の夜半に撤去され、室町時代頃から「桃の枝」への信仰に變化(へんくわ)して、軈(やが)て炒つた豆で鬼を追拂ふ行事へと變遷(へんせん)したやうである。
豆撒きに關(くわん)しては、宇多天皇(867-931)の時代に鞍馬山の鬼が都を荒らすので、大豆で鬼の目を打ち潰して災厄を逃れたという故事が始まりとされるが、神社では「福は内」といふ掛け聲はなく節分祭(せつぶんさい)と呼ばれ、寺院では節分會(せちぶんゑ)の呼稱されるのが一般的であるといふ。

 

 

 

TEL 06-6334-2218 午前11時~午前12時30分

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