作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)の,
『Motion1(風琴・organ)』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。
ない方が良いといふ讀者は、ご自由にどうぞ。
映畫(えいぐわ)『プリンセス トヨトミ』を觀て
觀て來ました、『プリンセス トヨトミ』。
この映畫は最初から觀に行かうと決めてゐて、本當は先週の木曜日に出かける豫定だつたのですが、野暮用があつて今囘となつてしまひました。
でも、とても樂しめました。
といふのも、この映畫の監督がテレビドラマの『鹿男あをによし』を手掛けた鈴木雅之氏だつたからで、彼の手腕はその作品で充分に證明(しようめい)されたと思つてゐて、それほど出來が良かつたので、借りてでも鑑賞される事をお薦めしたいと思つてゐます。
登場人物は、日本史好きにはすぐにピンとくる設定にしてあつて、主演の堤真一が演じる松平元は、言はずと知れた徳川に改名する前の姓で、「鬼の松平」の異名を持つ會計監査官調査員を職業としてゐますが、彼は笑はない事で有名であるといふ設定。
つづく綾瀬はるか演ずる鳥居忠子は、女性調査官なのですが、天性の勘で功績を上げるので「ミラクル鳥居」と呼ばれてゐて、そのモデルは鳥居元忠(1539-1600?) 。
同じ調査官の岡田将生が演じる「旭ゲーンズブール」の「旭」は、豐臣秀吉(1536-1598)の實の妹の「朝日」がモデルで、徳川家康(1542-1616)を從はせる爲に姻戚関係を劃策した秀吉が、結婚してゐたのをわざわざ離婚させてから政略結婚させられた女性ですが、その邉りに伏線としての面白さを感じます。
お好み焼屋の主人で、大坂國の総理大臣といふ影の顏を持つてゐる真田幸一を中井貴一が演じてゐて、ご存知真田幸村(1567-1615)がモデル。
プリンセスの橋場茶子は沢木ルカが演じてゐて、橋場は豐臣の前の羽柴で茶子はお馴染の茶々から借用してゐます。
この外にも、長宗我部や蜂須賀といふ當時の武将の名前が出て來て、知識欲を擽(くすぐ)つてくれて倦(う)む事はありませんが、惜しむらくは、明治政府と大坂國との間に交された文書があつて、それは「大坂國獨立条規」といふのですが、「大坂」も「阪」ではなく、「國」も「国」でなく、「獨立」も「独立」でないのに、「条規」が「條規」となつてゐません。
無理もないかも知れませんが、ここら邉(あた)りに配慮が不足してゐるやうに思はれました。
けれども、大坂國に秘められた秘密が權威主義を守るのが目的ではなく、親から子へと受繼がれるといふものが主題(テエマ)で、それは人間が社會生活を營む爲に、子供から大人へと成人して、やがて一歩外に出ればこの世の荒波に揉まれなければならず、その時に恥をかいたり屈辱的な目にあふ事もあるでせう。
その時、自信を持つて生きて行くのに必要なものが、躾(しつけ)や嗜(たしな)みではないでせうか。
それを教へてくれるのが、父や母です。
親から子へと傳(つた)へられる絆とも呼べる重要なもの、それがこの映畫では偶々、
「プリンセスを守る大坂人」
といふ象徴的表現となつてゐるのだと思ひます。
だから、最高潮(クライマツクス)になつて、笑はない松平が赤い絨毯(カアペツト)を亡き父と歩いて行く時に、映畫の中でそれが成就されるものと思つてゐたのですが、そこではなく、もう少しあとで松平に笑はれてしまつて、筆者の推理は見事に外れてしまひました。
といふやうに、作品の出來は滿足の行くものでしたが、それでも一つ言はせてもらへば、橋場茶子役の沢木ルカさんの科白に於ける「ラ行」の発音が聞き苦しかつた事で、それ以外は一六一五年の逸話(エピソオド)も最後に解決されてゐて、納得の行く出来映えだつたと思ひます。
もう一つありました、松平の父親はなぜ大坂……。
2011年6月10日午後3時25分
ある人に答へて
探偵小説の犯人が解つては興ざめですが、映畫の場合はそれほど氣になりません。
どう撮つてゐるのかに重點(ぢゆうてん)をおいてゐるからです。
さうして俳優よりも監督に重きをおいてゐます。
解り易いといふ事は重要ですが、徹底してほしいと個人的には思ひます。