この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)の、
『Motion1(ピチカアト・Pizzicato) 曲 高秋 美樹彦』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は四國の徳島懸にある、
『大歩危・小歩危』
へ出かけた時のものです。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。
映畫(えいぐわ)『ラストサムライ』を觀て
思つたより、出來が良かつたと思ひました。
トム・クルーズが、人殺しを仕事とする軍人といふ職業に疑問を抱き、人間不信となつて酒に溺れる日々。
そこへ日本に軍事教練の話。
いやいやながら、訓練の日々。
そんなある日、日本の最高責任者に對して、諌言の爲に武力で抵抗を試みる一人のサムラヒと相見(あいまみ)え、破れて捕虜となる。
そこで、その男の生きる覺悟を知り、酒に逃げてゐた己の未熟を思ひ知らされる。
人はいづれ死ぬ!
どう生きるかではなく、不平不滿も言はず、成すべき事を全(まつた)うする、ただその一點にのみ命を懸ける。
次第に、彼に傾倒して行く主人公。
軈(やが)て、最後の決戰で、次々と倒れて行くサムラヒ達。
戰ひすんで、ただ一人生殘(いきのこ)つたトム・クルウズは、最高權力者である天皇に謁見し、甚(はなは)だ綺麗事の武器を放棄するといふ、平和的思想を取つて附けたやうに主張するのは、頂けなかつたものの、全體としてはまづまづといふ所でせう。
ここで配役としては、渡辺謙は兔も角として、真田広之はもう少し場面を多くしても良かつたのではないか、と思はれます。
聞く所によると、トム・クルウズを喰つてしまつたからだ、といふ噂まで流れてゐるやうです。
しかし、その中でも、小雪が儲け役だつた、と思ひます。
夫をトム・クルーズに殺された小雪が、次第に愛情を感じ始め、渡辺謙と共に死出の戦ひに出向く時、トム・クルーズが小雪の住む家の方を振向く。そこに小雪の姿は見えない。
一轉、場面は室内から戸口に隱れ、許されぬ戀を耐へるやうにして、外に背を向ける小雪。開かれた戸からは、立去る騎馬に跨つた軍団。
その中にトム・クルーズの勇士。
耐へる小雪。
とまあ、こんなカット割りのうまさを堪能出來れば、いいのではないでせうか。
然し、最後の場面は壓卷で、トム・クルウズが小雪の待つ、霧深い山里へと歸つて行く。
サムラヒの形見である刀を背負ひながら…
この場面は、本當に良かつた。
まるで彼等二人の子孫が、今に生殘つてゐさうにさへ、思へたものでした。
解析魔 kentaurosでした
二〇一二年五月十二日