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亥子谷の『だん』、庄内の『かしこ』……そして豐南町の『お好み燒 味幸』へ

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入口から鐵板を臨む         入口直ぐにある小上り           鐵板から入口を臨む

 

お店紹介

亥子谷の『だん』、庄内の『かしこ』……そして豐南町の『お好み燒 味幸』へ

 

               味幸の主題歌です (開店の日の映像)

 

 

 昭和五十六年(1981)に脱サラをして、吹田の亥子谷で始めてお好み燒の店を營業した。

 今から三十三年前の事である。

 嚴密には一年近くは會社勤めをしながら、みゆきちやん(妻)に店を任せてゐたのだが、その店は親戚の人が辭(や)めるといふので、後を引受けてもらへないかといふ相談が父親の所にあつて、その傳手(つて)で私の元へ話が來たのであつた。

 その際の條件として、家賃だけで保證金はなしといふ事と、店の名前を變へない事であつた。

 

 

 

 『お好み燒&喫茶 だん』

 それがその時の店名であつた。

お好み焼 だん 001

お好み焼『だん』の店先(寫眞が古くて濟みません)

因みに幼い時の次女と二男です

 

その頃、亥子谷附近はまだまだ開發途上でバス停の前に結構大きな池があつた。

 といつても名神の下に廣がつてゐる釋迦ケ池ほどではなかつたが、その池の名前が亥子谷池と言つてゐて、それがバス停の名前になつてゐた。

 であるから亥子谷は地名ではなく、本當は山田下であつたが、やがて五月ケ丘へとその名前を變へて行き、約九年の營業を續けた。

 さうして、その店の話の仲介をした父も、十二年前に亡くなつてしまつた。

 

 

 亥子谷の『お好み燒&喫茶 だん』から少年期の後半から青年期に過した關係もあり、まして父親と繼母の住むといふ理由もあつて庄内へと據點(きよてん)を移した。

 そこは名神豐中インタアの根際(ねき)にある二十四時間營業の「五色温泉」のすぐ側で、

 『お好み燒&喫茶 かしこ』

 を二十二年間そこに來る客を當て込むといふコバンザメ商法で營業した。

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 お好み焼『かしこ』の店先

 

 

 その店は三年間で立退きとなつて斜め向ひへ移轉する羽目となり、その時に庄内の「音大」近くの店と二店舗を行きがかり上する事となつた。

 が、結局三年ほどで「音大」の方の店は疊んで、一店舗で纏める事となつた。

 

 

 二十二年もの長きに渡つたその店にも別れを告げて、豐南町に店を構へる事となつた。

 『お好み焼 味幸』

 それが現在の店である。

 移轉に際しては、とんとん拍子に話が進み、二週間で開店に漕ぎつけた。

 二〇一二年九月十五日の事である。

 あれから凡(およ)そ二年……。

 店名は名前の通つた『かしこ』のままで行かうといふ意見も多かつたが、心機一轉して改名しようといふ事でかく相成つたが、幸ひな事に店は順調にお客樣の御愛顧を戴いてゐる。

 

 

 因みに、それらの店の名前の由來はといふと、

 最初の店の『だん』は、自分達が命名した店名ではなかつたが、前の所有者から聞く所によると、「暖」の温かいとか、「團(だん)」の團結や團欒(だんらん)、或は「dannke schon(ダンケシエエン)」、島根懸の方言の「だんだん(有難う)」の意味を兼ねたのだと言はれた。

 當然、その女将は島根の出身である事はいふまでもないだらう。

 

 

かしこ 鉄板前 009

鐵板前の カウンタア

 

二件目の店名『かしこ』は、「賢所」とか「畏(かしこ)し」といふ恐れ多いなどの意味と、彼(か)の處といふ「彼處(かしこ)」とがあつたが、なんといつても私の名前の「賢太郎」の「賢」から『かしこ』といふ命名となつたのである。

 かしこカウンター002          かしこ客席 001

珈琲のカウンタア席                          テエブル席

 この店名は有觸れたものではなく、ご覧のやうに漫畫(コミツク)八千册や讀物(小説・雜誌)も含めると一万册は下らなかつた。

 その上店名も變(かは)つてゐて、きつと少なかつただらうから影響力(インパクト)があるに違ひないと思はれたので、憶えてもらへるに違ひないと蹈んでゐたのが見事に功を奏し、幸ひな事に多くのお客樣に惠まれたのであつたが、その店も二十二年でお別れとなつた。

 

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店先の守り神『布袋さん』

我が店の布袋さんの由來

http://www.miyukix.biz/?page_id=415

 

さて、現在の店はといふと、いはずとしれた現店主である妻のみゆき(幸)ちやんの名前を捩(もぢ)つたもので、「味(あぢ)の幸せ」をお裾分けといふ處から『味幸』となつたのである。

 御愛嬌は店主が私から妻のみゆきちやんに譲位した事で、下剋上は世の習ひである。

 かくて元店主は使用人として、東へ西へ日夜奮闘してゐる。

 以上が亥子谷の『だん』から庄内の『かしこ』、そして豐南町の『お好み燒 味幸』までの道程(みちのり)である。

 

       二〇一四年八月三十一日午前一時 味幸にて記す

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