第三囘 發句(ほつく)教室
『鳰(にほ)の會(くわい)』
アミイユ豐中庄本
二〇一五年四月二十日(月)
この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは高秋美樹彦の自作(オリジナル)による、
『Motion1(竪琴・harp)高秋 美樹彦』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は奈良懸にある、
『石舞臺(いしぶたい)』
へ出かけた時のものです。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。
ない方が良いといふ讀者は、ご自由にどうぞ。
∫
今日は生憎の雨で、この前も雨だつたから、この會(くわい)が始まつて三囘の内、二度までも雨に見舞はれる事となりました。
けれども、三分の二が雨だつたとしても、「雨男」の稱號(しやうがう)はまだ早いので辭退(じたい)をしますが、若しこの次も雨だつたら、甘んじて受けやうかと思つてをります。
扨(さて)、今囘は、
『穀雨(こくう)』
を季題として發句(ほつく)を詠んでみませう。
『穀雨』とは二十四節氣の第六で、舊暦(きうれき)だと三月ですが、新暦ですと四月二十日頃で、今年は正(まさ)しく今日がそれに當(あた)り、期間としては、この日から次の節氣の『立夏』前日までを言ひ、その直前には『八十八夜』があります。
「春雨降りて百穀を生化すればなり」
と『暦便覧』に記されてゐる事でも解る通りに、田畑の準備も整ひ、それに合せるやうに降る春の雨の事ですが、その雨が穀物の成長を助ける事を以(もつ)て、『穀雨』と言ひます。
ここで發句を作るに當つて、言ひたい事を見つけるといふのが重要であるといふ事の見本として、松尾芭蕉(まつおばせう・1644-1694)の「古池や」について再度取上げました。
さうして、
『切字(や・かな・けり)』
は一句二章を基本とし、意味は文字通り一句が二章の文章から成つてゐるといふ事ですから、『切字』は一度だけ使用すると憶えておいて下さい。
特に初心者の方は肝に銘じておいて下さい。
『季語』
は『切字』と同じで一つだけ使ふのが基本であると説明しました。
その理由は、二つ以上あると目移りがして焦點(せうてん)が定まらず、通販の型録(カタログ)のやうにどれを選べば良いのかと、迷つて仕舞ふからです。
『五七五』
については、「字餘り」の許される理由である感情の破綻がある場合に、「立板に水」の五音よりも、六音なり七音にする事でそれを傳(つた)へ易くなるからだと説明をしました。
そこで『穀雨』ですが、それに前囘と同じ「かな」といふ『切字』をつけて、
穀雨かな
と下五句が出來ました。
次にどなたからも應答(おうたふ)がないので、
晴れると見れば
と中句を提案しました。
普通、雨といへば晴に比べれば嬉しくは思はれません。
それが穀物を育てるといふ意味で『穀雨』と喜ばれるといふ意味からも、「晴」と對等(たいとう)の位置で「雨」が遇されてゐる譯です。
そこでその驚きを、
さつきまで
と上五句に置きます。
さつきまで晴れると見れば穀雨かな 不忍
さつきまで はれるとみれば こくうかな
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
かくて一句が完成しました。
次にもう一句。
人までも豐かになりぬ穀雨かな
ひとまでも ゆたかになりぬ こくうかな
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
と、途中で傘を片手に遊歩道を通りながら詠んだ句を披露しました。
ところが、この句の「豐か」が雨が降る事で穀物が成長するのを喜ぶだけでなく、人も金錢面も含めて心までさうなるといふ表現になり、それでは餘りにも理窟つぽくて説教臭いので、
禽獣も木さへ漲る穀雨かな 不忍
きんじうも きさへみなぎる こくうかな
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
と改めました。
「禽獣(きんじう)」とは、讀んで字の如く鳥と獣の事ですが、そのあとに「木さへ」といふ表現で、生きとし生けるもの全てが雨から恩惠を蒙(かうむ)つてゐるのだといふ喜びが感ぜられないでせうか。
「漲る」は「サンズイ(水)」がなければ「張」で、これだと絲(いと)は切れてしまひますが、サンズイが扁(へん)として追加されれば、斯(か)くの如く力強くなるといふ意味があります。
晴れてゐるといふ事は「張」に通じ、雨が降る事で生物が生き活きとするのです。
今囘、二囘目の出席で、まだ俳號(はいがう)を送つてゐなかつた村田美智子さんから質問があつて、燕(つばめ)がビルなんかが建つて歸つて來ても巣を作る場所を探してゐて、その姿が」可哀想で仕方がないと語られました。
そこで早速、
旅路はるか歸るあてなきつばくらめ 不忍
たびじ はるか かへるあてなき つばくらめ
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
と一句を詠みました。
渡り鳥の燕の移動を「旅路はるか」と言つたのではありますが、と同時に人が生きて來たこれまでを振返れば、それもまた「旅路」なのであります。
「歸るあてなき」とは時間は取返す事が出來ないといふ意味でもあります。
續いて、同じく村田美智子さんがこの間から書溜めたといつて便箋を手渡されました。
そこには八つの句が記載されてあり、添削を求められましたので、この場を借りて發表します。
さくらさくはるけきともをしのぶらん 紅風
櫻咲くや竹馬の友をしのぶらん
さくら さくや ちくばのともを しのぶらん
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
中句の「はるけき」は「春」と勘違ひが起き易いので、「遙けき」と表記して混亂(こんらん)を避ける方が良いやうに思はれます。
はなのしたアミユーのともたのしけれ
花の下で笑みつられしや友あれば
はなの したで ゑみつられしや ともあれば
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
「アミユー」は固有名詞だから避ける可きでせう。
ただし、「富士山」も固有名詞ですが、誰もが知つてゐるので、句中に使つても問題はありません。
はなのかぜバスまつこともたのしけれ
風に散る花舞ふ中やバスを待つ
かぜにちる はなまふなかや ばすをまつ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
なつかしのはいしやにゆけるありがたさ
久方の齒醫者訪ふ治癒嬉し
ひさかたの はいしやおとなふ ちゆうれし
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪ ♪ ♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
この句は、季語が秋になりますが、「久方の齒醫者に行きて噛む林檎」とすると、噛めるやうになつた事の歓びが表現できるでせう。
ひさかたの はいしやにゆきて かむりんご
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪ ♪ ♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
でんせんに くびふりながら なくつばめ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
この句はこの儘で問題はないでせう。
歸るあてのない燕の途方に暮れた動作が傳はつて來ます。
じーばーがさがすつばめにさちいのる
爺イ婆アが幸を見んとてツバメ追ふ
ぢイばアが さちをみんとて つばめおふ
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
上句を「老いた父母」とも考へ「一途に探す燕かな」とも考へましたが、いづれも破毀(はき)しました。
なのはなやみればみるほどかれんなり
菜の花や含めば匂ふ可憐さよ
なのはなや ふくめばにほふ かれんさよ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
初案の中句は「口に含めば」であつたが、「含む」のは「口」に決つてゐるので省略しました。
發句は省略の文學なのです。
たまごやきともにそえるやはなびらを
たまごやきこころ盡しに花びらを
たまごやき こころづくしに はなびらを
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
この句も「ともに」が「共に」なのか「友に」なのか不明で、對處に困ります。
中句は別に、「目に色合ひの」とも考へましたが却下しました。
お氣に召すかどうかは解りませんが、以上で八句の添削を終へます。
今囘の参加者は、
月森(げつしん) 紅風(こうふう) 虎水(こすい) 美舟(びしう) みづほ
五名でした(アイウエオ順・敬稱略)。
今囘、新たに村田美智子さんが參加されました。
聞けば十月生れだとの事で、十月は神無月といひますが、萬葉集(まんえふしふ)に、
十月(かむなづき)しぐれに逢へる黄葉(もみぢば)の
吹かば散りなむ風のまにまに 大伴池主
といふ和歌がありまして、そこから「黄葉」ではなく「紅葉(こうえふ)」として考へ、紅風(こうふう)の俳號(はいがう)を贈ります。
二〇一五年四月二十一日(火)午前六時四十五分 閉店後の店にて記す
次囘は五月三日(月)の午後二時に開催します。
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