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第四囘 發句(ほつく)教室『鳰(にほ)の會(くわい)』アミイユ豐中庄本 近江不忍(あふみのしのばず・Oumino Sinobazu)

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第四囘 發句(ほつく)教室

『鳰(にほ)の會(くわい)』 

アミイユ豐中庄本

二〇一五年五月四日(月)

 

この作品を讀む時、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。

これは高秋美樹彦の自作(オリジナル)による、 

 『Motion1金管楽器・A brass instrument 』 

といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。 

映像は岡山懸にある、 

『和氣の藤祭り』 

へ出かけた時のものです。 

雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。

ない方が良いといふ讀者は、ご自由にどうぞ。  

 

 

 午後一時から四階の款談(くわんだん)の爲の廣場(ひろば)で、いつものやうに發句教室を始めました。

 今日は『みどりの日』といふ事で、これを季題として取上げました。

 この季題を「上句・中句・下句」の何處に配するかといふ問題で、上句だと言ひ切りになつて後が續け難(にく)く、中句だと七音の内の五文字を埋められて殘り二音しかないので狹(せま)苦(くる)しい。

 そこで下句に置く事を提案して、

 『白髪(しらが)

 と、「みどり」の色と對比(たいひ)する心算(つもり)で上句に置きました。

 『白髪』『みどりの日』

 といふ事になりましたが、まだ上句は三文字しかありませんから、

 『白髪して』

 と詠んで見ました。

 「白髪して」とは熟(こな)れてゐない異な言葉遣(ことばづかひ)でありますが、良とします。

 『白髪して』『みどりの日』

 となつて、殘すは中七音となりましたがここが思案の爲所(しどころ)で、『取合せ』として見えるといふのではなく、若々しい緑が白髮頭の中で輝いてゐるとしたかつたので、

 『腦裡(なうり)に浮ぶ』

 と配置して、

 

   白髮して腦裡に浮ぶみどりの日 不忍

 

 しらがして  なうりにうかぶ みどりのひ

C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 と完成を見る事が出來ました。

 

 

 ここまで來て、またしても私が私によつて一句を完成させてしまひました。

 これではいけないと、季題を頂く事にした。

 『五月晴(さつきばれ)

 といふ季題が紅風(こうふう)さんから提案されました。

 本來、『五月晴』の「五月」は舊暦(きうれき)五月の呼稱(こしよう)で、新暦だと六月の梅雨の時期に當り、梅雨の合間の爽やかな晴天を指す言葉でしたが、明治期になつてからは新暦の五月の晴れといふ意味にも用(もち)ゐられ、現在では「さつきばれ」を舊暦の意味で、「ごがつばれ」を新暦の五月の晴といふ意味で使ひ、いづれも「五月晴」と表記するとの事です。

 

 

 で、今はまだ晩春とはいへ春に違ひはなく、この季題は『夏』ですのでどうかとも思ひましたが、練習の心算(つもり)で詠んで見る事にしました。

 早速『五月晴』を下句として、

 

   浮ぶ雲水溜りにも五月晴 不忍

 

 うかぶくも  みづたまりにも さつきばれ

C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 と詠んで見る。

 梅雨の合間に漸く晴れた喜びを傳(つた)へようと試みます。

 

   水溜りにも雲は浮ばん五月晴 不忍

 

 みづ たまり にも   くもはうかばん さつきばれ

C♪♪ ♪♪♪ ♪♪ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ

 

 上句が六音と字餘(じあま)りになりましたが、今度は視點(してん)を變(か)へながら、更にじめじめとした梅雨の頃を想像して、かういふ時に晴間(はれま)が見えたら、明日からの雨を心配して布團(ふとん)や洗濯物でも干(ほ)して置かうと考へるのが人情といふものです。

 

   陽を受けて乾した布團や五月晴 不忍

 

 ひをうけて   ほしたふとんや さつきばれ

C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 そこでその氣持を言葉に表はす。

  こんな風に思ひつくままに、言葉を竝べて行くと句になるのですが、私の話を聞いてゐた、そこに勤務する女性の方から、

 「難しい」

 といふ言葉があり、今度はこちらが困惑してしまひます。

 ならばと、晴れた喜びに散歩へ出かけ、風が吹いて來たので、

 「風が吹く」

 でも構はないのです。

 風が吹けば桶屋が儲かるではないけれども、帽子でもかぶつてゐれば飛ばされたりするでせうから、

 

   風が吹く帽子が飛んで五月晴 不忍

 

 かぜがふく  ぼうしがとんで さつきばれ

C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 と言葉を竝べて見ますが、これでは格調がないので文語文に置き替へます。

 

   風が吹く帽子飛びたり五月晴 不忍

 

 かぜがふく  ぼうしとびたり さつきばれ

C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 これで一挺(いつちやう)上りとなります。

  それでも解りにくければと、朝起きた時、

 「目が覺(さ)めて」

 と呟いたら、それを便箋にでも書留めて、續いて、

 「ご飯を食べて美味かつた」

 でもいいから、それも書いて提出して下さい。

 

   目が覺めて命喜ぶ白い飯 不忍

 

 めがさめて   いのちよろこぶ しろいめし

C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 例へば、このやうに生きてゐる喜びのやうな表現に置き替へられます。

 

   春暁や命喜ぶ白い飯 不忍

 

 しゆんげうや   いのちよろこぶ しろいめし

C ♪ ♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 と季語を配せば完成です。

 

 

 追ひ打ちをかけますと、部屋を歩いてゐて何處(どこ)かの角に足でもぶつけて、痛いと思つたらその事でもかまはないので、それをメモしておきませう。

 「つまづいて足が痛い忌々しい、悔しい」

 といふ呟きから、

 

   つまづいて足の痛さや春惜しむ 不忍

 

 つまづいて   あしのいたさや はるをしむ

C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 といふやうに肉體的(にくたいてき)な痛みから心の傷みへと昇華させる事も出来るのです。

 

 

 以上で、參加された方々には大した収穫もないままに今囘の教室も終りましたが、紅風さんから十三句を提示されましたので、それを添削します。

 

    一、山ふかくさがせどなにもみつからず 紅風

 

 この句は言ひたい事は解りますが、季語がありません。

 それに「何も見つから」ないといふのも漠然としてゐます。

 そもそも何を求めたのでせうか。

 

   山深く見つけられない夏いづこ 不忍

 

 緑輝く山の中に入ると遠くから眺めた緑は、近づくと却つて見えないといふ句意になります。

 

   夏山へ見つけられない我がゐる 不忍

 

 また、見つけられないのは外でもない自分自身である、といふ表現も出來ます。

 

 

   二、子はふもと親はおくからまだまだと 紅風

 

 子は麓(ふもと)にゐて、山奧から親が「まだまだ」だと子供を躾(しつけ)をするやうに呼びかけるといふ構圖(こうづ)でせうか。

 

   名を呼んで親の聲(こゑ)追ふ夏の山 不忍

 

 この句も季語がなかつたのでかうしましたが、子供の頃の體驗(たいけん)を詠んだのは良いのですが、普遍性(ふへんせい)が不足してゐるやうに思はれます。

 

   亡き親の聲追ふや昔の夏の山 不忍

 

 と、中句が九音になりますが、思ひ出の中に親を思ふといふ誰にでもある感情が訴へられたのではないでせうか。

 

 

   三、奧ふかき山でねばれどはかなきや 紅風

 

 この句は「一、」の句と大きな違ひはなく、それを參考にして戴きたいと思ひます。

 ただ、下五句に「はかなきや」と言ふ形容詞が使はれてゐますが、これは以前にも述べましたやうに、

 「動物園に行つて、樂し(形容詞)かつた」

 「遠足の辨當(べんたう)、美味し(形容詞)かつた」

 「お小遣ひをもらつて、嬉し(形容詞)かつた」、

 といふ表現は、日記に書くのならばそれでも構ひませんが、人樣に讀んでもらはうといふ時には不親切で、極端に言へば何も傳へてゐないのと同じ事になります。

 もつと具體的(ぐたいてき)な動詞や體言(たいげん)(名詞)で表現すべきだと思ひます。

 

   夏山や所詮埋(うづ)めん骨の場所 不忍

 

 人生は重き荷を背負つて遠き道を行くやうなものだと言ひますが、山で何かを探して隨分粘(ねば)つたけれども、つひに何も見つけられずにそれが空しくて「はかなきや」と呟かせたのでせうが、山に登る事自體(じたい)を人生と考へれば、果敢無(はかな)いものだとは思ひますが、良い思ひでもあつた筈で、それを句にして見てはいかがでせうか。

 幾ら「人の夢」と書いて「儚(はかな)い」と表記するからといつて、句を詠む姿勢としてそれでは生きてゐる、或いは生きて來た甲斐がないやうに思ひます。

 

 

   四、父と母またかともめてひとりゆく 紅風

 

 この句は兩親の不和を目撃した情景で、それも一度や二度ではない状態を子供の目線から詠んだものですが、下五句の「ひとりゆく」に決意の強さが傳はつて來ません。

 

   父母(ちちはは)の不和や近所に借りる部屋 不忍

 

 このやうに實際には部屋を借りて家を飛出したりしてゐなかつたとしても、傳へたい事の爲には物語る工夫も必要だと考へます。

 この句は季語がありませんが、「無情」といふ範疇(カテゴリイ)に屬(ぞく)するので良としますが、それでも川柳といふ方が良いかも知れません。

 さうして、「近所」といふ表現に遠く離れない親を心配する思ひを込めてゐます。

 

 

   五、五月雨やあの鉢植が氣にかかる 紅風

 

 これも下五句の「氣にかかる」が問題で、それをどう解決しようと思つてゐるのか、もしくはその爲に何かが手につかないといふ具體的な表現にす可きだと思ひます。

 

   五月雨や傘を差出す鉢植に 不忍

 

 雨に濡れてる鉢植に思はず傘を持つて行くとか、

 

   五月雨や鉢植思へば箸の手が 不忍

 

 誰かの思ひ出でもある、あの鉢植が氣になつて、お晝(ひる)の食事をしてゐても箸が止つてしまふといふ具合にです。

 

 

   六、若き日の想い出だけは風を切る 紅風

 

 この句の「想い出」を具體的に述べませう。

 

   いつまでも身を切る風や青き春 不忍

 

 それが出來ない時は、このやうに「想い出だけ」が「風を切る」のではなく、人生には嚴しく身を切るやうな風が吹いてゐる、と詠んで見てはどうでせうか。

 

 

   七、初孫で大空たかく鯉のぼり 紅風

 

 孫に對する愛情の表現でせうが、上五句の「で」を切字の「や」にするだけで、

 

   初孫や大空たかく鯉のぼり 不忍

 

 このやうに解り易くなりますが、敢(あへ)て添削すれば、

 

   安かれと望む初孫や鯉幟 不忍

 

 といふのはどうでせうか。

 

 

   八、どこよりも大きな鯉よ強くなれ 紅風

 

 この句は「七、」の句と同根で、よく練れた句とは言へません。

 ただ、この「鯉」は池に棲む實際の生物のやうですが、感情が上(うは)滑(すべ)りをして有觸(ありふ)れた應援(おうゑん)となつてゐます。

 

   主(ぬし)の鯉その大きさで池に跳(は)ね 不忍

 

  

   九、中庭で草を枕にたのしけれ 紅風

 

 この句も下五句が「たのしけれ」と形容詞が使はれてゐます。

 何が「たのし」いのでせう。

 次からはそこを直してから發表しませう。

 

   夏の庭で旅の氣分や草枕 不忍

 

 

   十、鯉のぼり心大きく嬉しそう 紅風

 

 中句の「心大きく」は「鯉のぼり」が風を孕んだ状態を、さう言つたのだと思ひますが、ここでも「嬉しそう」と下五句を形容してしまつてゐます。

 

   空の海へそのまま泳げ鯉のぼり 不忍

 

 かういふ所で勘辨(かんべん)を願ひます。

 

 

   十一、えんがわで母耳そうじ順番に 紅風

 

 傳(つた)へたい事は上五句の「えんがわで」ではない筈です。

 詠み手の幼兒(えうじ)體驗(たいけん)が實際(じつさい)に「えんがわ」であつたとしても、讀者には與(あづか)り知らぬ事です。

 發句は十七文字の短い言葉の世界ですから、何でも語られる譯のものではありません。

 どれだけ省略するかが命です。

 「いひおほせて何かある」

 と松尾芭蕉(1644-1694)がいふやうに、ここは思ひ出である「えんがわ」は端折(はしよ)つて、母の膝の温もりを傳へませう。

 

   耳掃除順番待つや母の膝 不忍

 

 

   十二、夏になるスイカ並んだおやつかな 紅風

 

 「夏」とあるのに中句に「スイカ」は問題でせう。

 それに第一、「スイカ」は秋の季語となつてゐますから、「夏」との季を違へた季重なりとなつてゐます。

 歳時記を叮嚀に調べて句作する事をお薦めします。

 それに「スイカ」を主食にする事はないので、下五句の「おやつかな」は無駄な表現で、十七文字を巧みに使つてゐるとは言へません。

 「動物園でおやつの飴をたべました」

 といふに等しいのではないでせうか。

 

   西瓜手に頬張る子の背に白い雲 不忍

 

 

   十三、これも駄目あれも駄目だと親は云う 紅風

 

 これは川柳として詠む題材だと思ひますが、それでも、ひと捻(ひね)り欲しい所で、

 

   これも駄目あれもと云つた親となる 不忍

 

 と、自分に言はれて鬱(うつ)陶(たう)しいと思つた事が、自身が親になつて同じ事を言つてゐる。

 實(げ)に親になつて知る親の愛といふ表現となります。

 

 

 以上、十三句の添削を終へました。

 ここで一寸提案があります。

 手間がかかるから言ふのではありませんが、少し自身で一句を推敲をして、その過程を示して貰ひたいと思ひます。

 さうしないと、上達する道は開けません。

 一句を幾つか推敲して、その中から候補を提示されれば答へ易くなります。

 決して添削をしないといふのではありません。

 自身の句を自分で推敲した結果を見ながら添削をしたいと考へてをります。

 

 

 さて、最初に揚げた『みどりの日』の句は、最終案をホオムペエジの『今日の一句』として、次のやうに推敲して發表しました。

 

   白髮して腦裡にやあるみどりの日 不忍

 

 しらがして  なうりにやある みどりのひ

C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃

 

 五月四日は『みどりの日』であるが、一九八九年(平成元年)から二〇〇六年(平成十八年)までは四月二十九日であつた。

 それ以前の一九四八年(昭和二十三年)の祝日法施行では、昭和天皇の誕生日である「天皇誕生日」として國民の祝日とされてゐて、その後一九八九年(昭和六十四年)に今上天皇が即位した事で、天皇誕生日は今上天皇の誕生日である十二月二十三日に改められ、四月二十九日を「みどりの日」と改めて存續させる事となつた。

 更に、二〇〇五年(平成十七年)に「みどりの日」を五月四日に移動して、四月二十九日は「昭和の日」とする事で落著かせた。

 月の第一と第三の月曜日は發句(ほつく)教室『鳰(にほ)の會(くわい)』の日で、庄本まで出かけたが、今囘は荷物が多かつたので車で出かけた。

 今にも雨が降りさうな曇り空であつたが、緑は眩しかつた。

 今日は筆者の誕生日でもあつたので家族から贈物(プレゼント)を貰ひ、早速、その内の服を著(き)て發句教室へ出かけたが、思ひもよらず時間をくつてしまつて、一時間のところを三時間も滯在してしまつた。

 娘から寫眞(フオト)附きのメエルで、

 「食事の用意が出來たのにまだ?」

 といふ聯絡(れんらく)があり、慌てて歸つたら好物の壽司が待つてゐた。

 

 この記事の後半の誕生日の件(くだり)は、『今日の一句』では書かずに、『2015年 春』で追加したものですが、かういふ書込みの違ひは時々あります。

 

 

 これまで發句教室を開催して四囘になりますが、私の指導方法に問題があるのか、一方的に話を進めて、句も辛抱強く会員の方々の應答(おうたふ)を待ち切れずに完成させてしまひます。

 これではいけないと考へるのですが、一時間といふ枠の中で齒痒(はがゆ)い思ひをすると同時に、自らの力不足を實感(じっかん)してをります。

 基本的に宿題を出すのは好みではないのですが、枕許などの身の廻りに、いつでも呟いた事が直ぐにメモが出來るやうに鉛筆と用紙を置いて下さるやうにお願ひします。

 それを次の會で、みんなで推敲するといふ進め方をしたいと思ひます。

 勿論、その場で句作を出來るのが理想ですが、不取敢(とりあへず)は應急處置(おうきふしよち)として「呟き」のメモを推敲するといふ形を試してみたいと思ひます。

 

 

 今囘の參加者は、新たに紅風さんと同じ十月生まれの淺井澄江さんが參加されました。

 淺井さんにも紅風さんと同じ萬葉集(まんえふしふ)の、

 

 

    十月(かむなづき)しぐれに逢へる黄葉(もみぢば)

 

    吹かば散りなむ風のまにまに  大伴池主

 

 といふ和歌から、今度は「紅葉(もみぢ)」ではなく「黄葉(もみぢ)」の「黄」と「月」で『黄月(こうげつ))』の俳號(はいごう)を贈ります。

 從つて、

 

 黄月(こうげつ) 紅風(こうふう) 虎水(こすい)

 月森(げつしん)  美舟(びしう) みづほ 

 

といふ顏觸れ(メンバア)で、六名でした。(アイウエオ順・敬稱略(けいしようりやく))

 

 

 次囘は五月十八日(月)の午後二時に開催します。

 

 

 

關聯記事

 

第三囘 發句(ほつく)教室『鳰(にほ)の會(くわい)』

http://www.miyukix.biz/?page_id=2568

 

 

第五囘 發句(ほつく)教室『鳰(にほ)の會(くわい)』

http://www.miyukix.biz/?page_id=2968

 

 

 

TEL 06-6334-2218 午前11時~午前12時30分

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