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第二藝術を讀んで思ふ事 近江不忍(あふみのしのばず・Oumino Sinobazu)

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第二藝術を讀んで思ふ事 近江不忍

 

 

 講談社學術文庫から、桑原武夫氏の『第二藝術』といふ本が出てゐるのを知つて、是非讀んでみたいと思つたので、本屋を隨分探し廻つて漸く手に入れる事が出來た。
 『第二藝術』といふ文章は一九四六年(昭和二十一年)、『世界』といふ雜誌の十一號に掲載されるや、俳壇のみに限らず、敗戰後も間もない、活字に飢ゑたインテリ層に受入れられて、一世を風靡したが、しかし當時、世の俳人たちの心膽(しんたん)を寒からしめたこの作品が、文庫本にして、わずか十九頁しかないとは思つても見ず、日本でも高名な仏蘭西(フランス)文學研究家である桑原氏の一文ともなれば、堂々たる論調の分厚い書物である、と想像した筆者の期待は大きく裏切られた。
 といふのは、この論旨の基礎には『實踐(じつせん)批評』といふ英吉利(イギリス)のリチヤアド氏の著書が根柢(べエス)にあつて、これまでの多くの藝術に接する鑑賞者の態度は、
 「作品よりも詩人を論ずる事が多い(エリオツト)」
 のではなかつたか、といふ作品の味はひ方(これを十九世紀的批評といふのださうだ)が、本當に正しいと言へたのか。即ち、ある作品があつたとして、その作品が書かれた時に作者が失戀(しつれん)をしてゐたのでかういふ小説になつたのだから、作家の歴史的背景を知らずして、作品を語る事は出來ないのぢやないかといふのが、藝術を味はふ場合の主流となる考へ方であつて、これを基本とすると、作品を鑑賞する爲には作家の歴史的背景を知らなければならず、これが高じると、藝術鑑賞といふよりは、歴史學か考古學になつてしまひかねない危険を孕んでゐた。
 ところが、リチヤアド氏はそのやうな鑑賞法に疑問を感じられたのだらう。剣橋(ケンブリツジ)大學で教鞭を執つてゐるのを幸ひに、學生に作家の名前を伏せて、いくつかの詩を讀ませて批評をさせると、作品の評價にどのやうな影響を與(あた)へ、且つ誤解が生ずるかを實驗(じつけん)した。
 その結果が、『實踐批評(一九二九年)』といふ書物となつたのである。
この發想を、「現代俳句(正岡子規以降の俳句の事か?)」で試みるとどうなるかを書かれたのが、桑原氏の『第二藝術』であるが、この論の始まりは、

 『敗戦後の諸雑誌にも戦前とおなじように、現代名家の俳句が挿入されている。しかし、雑誌のカットなるものにかつて注目したことのない私は、同じように、最近までこれらのものを殆ど読んだことがなかった。(原文のまま)』

 と、俳句をカツトと同一に論じてゐるが、これは雜誌の編輯者(へんしふしや)としての言葉なら兔(と)も角(かく)、論理的にものを書いて行かうとする文の中では、信じられない表現で、勿論、カツトの方が俳句より劣つてゐるといふのでは固(もと)よりない(優れたカツトは作品と共存してゐると筆者は考へるからだ)が、俳句とカツトをさう見るのは、俳諧の連歌の發句と俳句とを同じ視線で見るといふに等しいので、筆者には賛成出來なかつた。しかも、

 『日本の明治以来の小説がつまらない理由の一つは、作家の思想的社会的無自覚にあって、そうした安易な創作態度の有力なモデルとして俳諧があるだろうことは、すでに書き、―中略―芭蕉以来の俳諧精神の見なおしは、これからの日本文化の問題を考えてゆく上に、不可欠である。そう考えつつも、私にはその余裕がなかった。むしろ興味がなかったという方が正直である。(原文のまま)』

 とある表現には、先づ著者の桑原氏自身が俳句の事を、餘りよくご存知ではないやうに見受けられ、もしさうであるならば、もう少し俳句の事を調べられてから發表されるのが、本筋といふものではなからうかと思はれる。
 確かに、氏の書かれたやうに、

 『わかりやすいということが芸術品の価値を決定するものでは、もとよりないが、作品を通して作者の経験が鑑賞者のうちに再生産されるというのでなければ藝術の意味はない。現代俳句の芸術としてのこうした弱点をはっきり示す事実は、現代俳人の作品の鑑賞あるいは解釈というような文章や書物が、俳人が自己の句を説明したものを含めて、はなはだ多く存在するという現象である。風俗や語法を異にする古い時代の作品についてなら、こういう手引きの必要も考えられぬことはないが、同じ時代に生きる同国人に対してこういうものが必要とされるということは、そして詩のパラフレーズという最も非芸術的な手段が取られているということは、よほど奇妙なことといわねばなるまい。芸術品としての未完結性すなわち脆弱性を示すという以外に説明がつかない。―中略―こういうことをいうと、お前は作句の経験がないからだという人がきっとある。そして「俳句のことは自身作句して見なければわからぬものである」という(水原秋桜子「黄蜂」二号)。ところで私は、こういう言葉が俳壇でもっとも誠実と思われる人の口からもれざるを得ぬというところに、むしろ俳句の近代芸術としての命脈を見るものである。十分近代化しているとは思えぬ日本の小説家のうちにすら、「小説のことは小説を書いて見なければわからぬ」などといったものはない。ロダンは彫刻のことは自分で作ってから言えなどとはいわなかったのである。映画を二、三本作ってから『カサブランカ』―中略―を批評せよなどといわれたものでは、たまったものではない。しかし俳句に限っては、「何の苦労もせずして、苦労している他人に忠告がましい顔をして物を言うことはないと思う」(秋桜子、同上)というような言葉が書かれうるのは、俳句というものが、同好者だけが特殊世界を作り、その中で楽しむ芸事だということをよく示している。(原文のまま)』

 といふ指摘は、批評の重要な問題を含んでゐるものの、しかし、これは作品の批評と、その形式をどう生かして書くかといふ創作法とを、兩人の桑原氏は兔も角、水原氏までもが混同してゐる爲に起きた衝突で、即ち、交響曲がソナタ形式で作曲されてゐるからといふ理由で、交響曲といふ存在そのものを否定するならば、ソナタ形式といふものがどういふものであり、又、他の形式との優劣(意味のない事だが)を比較し、研究しなければならないだらうが、ある作曲家の交響曲を聽いて感想を述べるのならば、その限りではないのであり、その事をもつて交響曲全體の是非を問ふ可きものではない事であらう。
 このやうな的外れな議論を讀まなければならないのは苦痛である。
 しかも、冒頭の、
 『わかりやすいということが芸術品の価値を決定するものでは、もとよりないが、作品を通して作者の経験が鑑賞者のうちに再生産されるというのでなければ芸術の意味はない』
 といふ藝術に對(たい)する考へ方には、筆者は同意する譯には行かない。
多くの作家が藝術作品を、
 『作品を通して作者の経験が再生産されるという』
 その爲にだけものを書いてゐるとは、どうしても思はれない。
 何故なら、優れた體驗(たいけん)者だけが物を書ける譯ではないからである。
 のみならず、桑原氏の語り口には、論爭相手や讀者を陷(おとしい)れるやうな表現が、隨所に見られるのだが、この、
 『俳壇でもっとも誠実と思われる人の口からもれざるを得ぬ』
 といふ言葉もさうで、 『誠実』な人がかう言ふぐらゐだから、所屬してゐる團體(だんたい)や、創作されるべき藝術分野そのものが藝事だ、といふのは亂暴(らんぼう)な結論ではなからうか。
 第一、創作者が有名人だつたとして、その作者が仏蘭西文學を知らずに、
 「仏蘭西文學は下らん」
 と言へば、桑原氏は立腹するに違ひないと思はれるのだが……。
 この亂暴(らんぼう)さは、この文の前のリチヤアド氏の引用の所にもあつて、それは、

 『リチヤアド(略)の行ったような実験を試みたならば―中略―読者諸君もどうかここでしばらく立ちどまり、次の十五句を読んだ上で、一、優劣の順位をつけ、二、優劣にかかわらず、どれが名家の誰の作品であるか推測をこころみ、三、専門家の十句と普通人の五句との区別がつけられるかどうか考えてみていただきたい(略)
 1 芽ぐむかと大きな幹を撫でながら
 2 初蝶の吾を廻りていづこにか
 3 咳(しわぶ)くとポクリッとベートヴェンひびく朝
 4 粥腹のおぼつかなしや花の山
 5 夕浪の刻みそめたる夕涼し
 6 鯛敷やうねりの上の淡路島
 7 爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り
 8 麦踏むやつめたき風の日のつづく
 9 終戦の夜のあけしらむ天の川
10 椅子に在り冬日は燃えて近づき来
11 腰立てし焦土の麦に南風荒き
12 囀や風少しある峠道
13 防風のここ迄砂に埋もれしと
14 大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
15 柿干して今日の独り居雲もなし
 (略)平生俳句をたしなまず、また作句の経験の皆無な私は、これを前にして、中学生のころ枚方へ菊見につれて行かれたときの印象を思い出す。(略)これらの句を前にする場合は、芸術的感興をほとんど感じないのは菊の場合と同じだが、そのほかに一種の苛立たしさの起ってくるのを禁じえない。それは(略)目の前にあるのはともかく菊であり、ひねこびてはいるが一個の「もの」であって、そのかぎりの安定感はあったのに対して、これらの句のあるものは理解できず、(略)3、7、10、11、13などは、私にはまず言葉として何のことかわからない。私の質問した数人のインテリもよくわからぬという。これが大家(草田男・井泉水・たかし・亞浪・虚子)の作品だと知らなければ誰もこれを理解しようとする忍耐心が出ないのではなかろうか(原文のまま)』

 といふもので、これもここに列擧された俳句が、素人や假令(たとへ)大家のものも含んでゐるとは言へ、その結果として、全てが鑑賞に堪へぬものであつたとしても、その事を理由に、俳句そのものの存續に言及する材料としては、不備を免れないと言へるだらう。
 何故なら、不利な條件ばかりを集めて、檢事の如く俳句といふ形式を追ひ込む手段では、それを用ゐて小説でも可能になつてしまふからで、極端な言ひ方をすれば、ポルノ映畫ばかりを竝べて、故(ゆゑ)に、
 「映畫といふものは藝術とは言へぬ」
 といふ表現さへ可能な事でも理解出來るだらう。
 更に、ここでも、『インテリ』といふ特權階級の人を擔(かつ)ぎ出して、この人々が解らないといふのだから、一般人には到底解らないのも、當り前だといふ思惑がほの見え、これは神の意志に從つたのだから、といふ言葉で自らの言動を權威づける爲のものと大して違ひなく、反對者の意見をさへ封じ込めるものである。
 しかるに、桑原氏はこの便利な錦の御旗を利用しながら、

 『十五句を前にして発見したことは、一句だけではその作者の優劣がわかりにくく、一流大家と素人との区別がつきかねるという事実である。「防風のここ迄砂に埋もれしと」という虚子の句が、ある鉄道雑誌にのった「囀や風少しある峠道」や、「麦踏むやつめたき風の日のつづく」より優越してゐるとはどうしても考えられない。またこの二句は「粥腹のおぼつかなしや花の山」などという草城の句よりは詩的に見える。真の近代芸術にはこういうことはないであろう。トルストイ全集と菊池寛全集とを読みくらべれば、この二作家の優劣はいよいよよくわかるが、両者の短編を一つづつ比べても問題にはならぬであろう。志賀直哉の作品はどれをとっても、同人誌で二、三年苦労した人の作品より優れている、などといったら志賀さんはむしろ立腹するだろう。私はロダンやブールデルの小品をパリでたくさん見たが、いかに小さいものでも帝展の特選などとははっきり違うのである。ところが俳句は一々俳人の名を添えておかぬと区別がつかない、という特色をもっている。もっとも「爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り」というような独善的な形式破壊をするものは井泉水以外にはなく、「咳くとポクリッとベートヴェンひびく朝」などというもの欲しげな近代調は草田男以外に見られまいから、これらの作家はすぐ誰にも見分けがついたであろう。しかし、それは芸術的価値判断とはいわれまい。現代俳句はまず署名を見て、それから作品を鑑賞するより他はないようである(原文のまま)』

 と述べられてゐるが、ここでも、
 『トルストイ全集と菊池寛全集とを読みくらべれば』
 とか、
 『ロダンやブールデルに小品』
 が、
 『いかに小さいものでも帝展の特選などとははっきり違』
 つてゐると言ひながらも、その論據(ろんきよ)を一向に示さうとせず、現代俳句が不要であるといふ事を證明するにしては、無意味な比較を論じ、本來、述べなければならない、この論の趣旨とは全く反對の十九世紀的鑑賞法とも言へる、権威主義を持ち出してゐる。
 このやうな権威主義的な見方で、しかも主義と形式とを一緒にしてゐるやうな理論が、罷(まか)り通るとはとても思へないのだが、それが世間を騒がせたといふのは恐ろしくもある。
 その上、
 『ところが俳句は一々俳人の名を添えておかぬと区別がつかない、という特色をもっている』
 などと譯の解らぬ事を言ひ出して、そのすぐ後に、
 『もっとも「爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り」というような独善的な形式破壊をするものは井泉水以外になく、「咳くとポクリッとベートヴェンひびく朝」などというもの欲しげな近代調は草田男以外に見られまいから、これらの作家は誰にも見分けがついたであろう(どうでも良い事だが筆者にはこれでも説明されるまで解らなかつた)』
 と、自身の言葉で自説を覆(くつがへ)すといふ離れ業までやつてのけ、その言ひ譯として、
 『それは芸術的価値判断による区別とはいわれまい』
 と言つてから、
 『現代俳句はまず署名を見て、それから作品を鑑賞する』
 と補足した心算(つもり)だらうが、これらは、
 『両者の短編を一つづつ比べても問題にはならぬであろう』
 といふ主張は、トルストイや菊池寛といふ名前を見て言つてゐるし、
 『ロダンやブールデルの小品』

を作家名を伏せて、『パリ』で見た後に、『帝展の特選』見て、『はっきり違』ふ、と言つたものとは到底思はないので、論理的であるとは言へないだらう。
 それに桑原氏の目的は、俳句の作家名は誰かといふクイズ番組のやうな、中物(あてもの)をする爲に、リチヤアド氏の『實踐批評』を持ち出したのではなく、俳句を俳句として鑑賞するには、どうすれば良いかを實證(じつしよう)しなければならない筈であつたので、さういふ理論の進め方も、著名な畫家(ぐわか)の繪(ゑ)と日曜畫家の繪を幾つか竝べて、どの作品が誰の作かといふやうに質問が出來るといふ事は、俳句に限らず、繪畫(くわいぐわ)や音樂といふ所有(あらゆる)藝術に置き換へられるから、このやうな理窟で何も生れはしないやうに思はれる。
 勿論、十九世紀的鑑賞法は―─特に自然主義文學の頃の日本の私小説(獨逸の私小説(イツヒ・ロマン)とは別物)はこの傾向が強く、作家の個人生活をこれみよがしに書かれてゐて、貧困でなければ小説家にはなれない、などと平氣で言はれてゐたぐらゐだから、この鑑賞法は間違つてゐるやうに思はれるかも知れないが、さうかと言つてそれを全く無視して、作品のみで勝負してしまふのも考へもので、何事も極端は良くない。筆者は場合に應(おう)じて、これらの二つを利用しながら鑑賞するやうにしてゐる。
 といふ事で、現代俳句の全てが、
 『まず署名を見て、それから作品を鑑賞するより他はないようである』
 ならば、それは俳句といふ形式が藝術として不足してゐるのではなく、俳句作家の方に、その形式を自在に操る能力が不足してゐるに過ぎない、と考へるのが順當ではなからうか。
 かういふ發想をすべきにも拘らず、

 『芭蕉以後においては、俳句がいよいよ大衆の間にひろまるとともに、恐らく世界には類例なき安定性をもった徳川期の封建体勢はいよいよ整備されてきた以上、俳人が堕落するのはむしろ当然のことであった。これを後の俳人が芭蕉の精神を忘れたためとか、あるいは芭蕉の求めたものを求めなくなったからなどというのは当らない。むしろ、芭蕉を崇拝しつづけたゆえに堕落したというべきであろう。それも芭蕉の言葉がさまざまの弟子や後人たちの解釈をへて神秘化したためのみではない。芭蕉をすてなかったところに堕落の原因があったのである。およそ芸術において、天才の精神と形式とを同時に学ぶことは許されない。かくするとき精神は形式に乗ったものとして受けとられ、精神そのものも形式化するのは必然である。これをアカデミズム、マンネリズムという。芭蕉は西行、杜甫に学んだというが、それは和歌、漢詩というごとき別の形式であったために、精神のみを抽出消化せざるを得ず、伝統精神をとり入れつつもマンネリズムに陥ることを避け得たのであろう。後の俳諧者が、芭蕉の用いたのと同じ形式を守りつづけつつ、芭蕉に還れなどという以上、月並の発生は不可避であった(原文のまま)』

 相も變らず、
 『およそ芸術において、天才の精神と形式とを同時に学ぶことは許されない』
 などといふ、本書の論旨とは無關係の天才論を展開してゐるが、抑々(そもそも)、『同時』でなければ、さうして『許され』れば『天才の精神』は『学』べる譯のものとも思はれないし、
 『かくするとき精神は形式に乗ったものとして受けとられ、精神そのものも形式化するのは必然である。』
 と述べられるのだが、俳句の形式と文體の形とを同等に論じてしまつてゐるし、大體(だいたい)、
 『精神が形式化する』
 とはどういふ事なのか? 
 眞逆(まさか)、精神が「五七五」になる譯ではあるまいに……。
 言葉に醉つてゐるとしか思はれない。
 『これをアカデミズム、マンネリズムという』
 などと言はれても、アカデミズムは官學とも譯(やく)されるところから權威主義と混同されるかも知れないが、本來は純粹に眞理や美を追求する創作態度の事で、これを型にはまり、獨創性がなくなる事を意味するマンネリズムと同等に論じるのは信じられない。
 『芭蕉は西行、杜甫に学んだというが、それは和歌、漢詩というごとき別の形式であったために、精神のみを抽出消化せざるを得ず、伝統精神をとり入れつつもマンネリズムに陥ることを避け得たのであろう』
 とご苦勞にも、脱出方法まで御教授して下さつてゐるのだが、
 『後の俳諧者が、芭蕉の用いたのと同じ形式を守りつづけつつ、芭蕉に還れなどという以上、月並の発生は不可避であった』
 といふ時、この著者が俳句に明るくはない事を、曝露してしまつてゐる。
 「月竝」とは、今日でこそ「マンネリズム」と同じ扱ひを受けてゐるが、「月竝」は「月次」とも表記し、王朝の「月次歌會」や中世の「月次連歌」に範を得て、俳諧でも毎月一定の日に連衆が集まる事を意味してゐたもので、それがどうして「マンネリズム」と同等に扱はれるやうになつたかといふと、無名の正岡子規が世に出る爲に、邪魔な宗匠制度を排撃する必要から、この桑原氏と同じやうな、

 『芭蕉自身も党派を作ったが、ただ作品がよかったので彼を党人視する人が少ない。(略)以後、何々庵何世というようなことが流行した』

 といふ理論で、「月竝」を「マンネリズム」と同じ扱ひで非難したからであるが、俳人子規が殘した功罪は大きく、「寫生俳句」といふが如きものもその一つで、それは筆者の『發句雜記』に譲るとして、結局、子規の行つた事はと言へば、

 『たとえば虚子、亞浪という独立芸術家があるのではなく、むしろ「ホトトギス」の家元、「石南』の総帥があるのである」

 といふ桑原氏の論に見られるやうに、「アウトサイダア」が「インサイダア」を倒して、根本的改革案もない儘、目新しい、或いは耳障(みみざは)りの良い言葉を掲げて、その地位に就いたといふに過ぎなかつたといふ事で、謂(い)はば、天秤の秤(はかり)が右から左に移つただけの事である。
 桑原氏の著書に戻れば、氏のこのやうな批評の仕方では何も見えて來ず、どのやうな藝術でも手を燒くに違ひないだらう。
 事實、次のやうに、

 『一つの芸術様式が三百年もそのまま続き得たということは、日本の社会の安定性あるいは沈滞性をしめすものであろうが、明治以後日本の軍隊が近代整備をとりつつも、その精神は封建のさむらいであったと同じく、俳壇は雑誌を数万も印刷し、洋館のオフィスをもちつつも、その精神は変わらなかった。ただその本来有する矛盾は、社会の発展にともない、いよいよ露呈されざるを得なくなった。さび・しをりなどという超俗的な教説を習慣的にとなえる一方、新しい社会に生きるために、いよいよ持ちまえの世俗的生活技巧を発揮せざるを得なくなった。だから「人生の究極は寂し味だ」などとはいうが、一たん強力な勢力が現れると器用にそれになびく。そして強い風がすぎさるとまた超俗にかえる。柳に行き折れはないのである。(原文のまま)』

 と述べられる最初の、
 『一つの芸術様式が三百年もそのまま続き得たということは、日本の社会の安定性あるいは沈滞性をしめすものであろう』
 といふ表現は、はつたりで書いたのか、効果を狙つてさうしたのか筆者には解らないが、音樂のソナタ形式でもそれぐらゐの年月が經つてゐるので、その事で『沈滞性をしめす』などと言はれては困るし、このやうなものは例を掲げればきりがなく、骨董品の價値を決定するやうに、藝術を何百年續いたから良いとか、悪いとかをいふのは皮相な見方だらう。
 當然、
 『人生の究極は寂し味だ』
 などと言ふのは俳人を氣取つた僞詩人の言葉で、
 『寂し味』
 といふ言語感覺でもそれが知られると筆者は思ふ。
 しかし、
 『柳に雪折れはない』
 をかういふ所で使用するのは、如何なものであらうか。

 

 使用法の間違ひは、なほも續く。

 『俳句に新しさを出そうとして、人生をもり込もうとする傾向があるが、人生そのものが近代化しつつある以上、いまの現実的人生は俳句には入りえない。俳諧修業は人格の完成であり、「俳句に人格の光あれ!」などといってみても、今日の世に風雅に遊んでいるものから光のさしようはないのである。(原文のまま)』

 桑原氏は實用主義(プラグマテイズム)を信奉してをられるやうだが、その氏から、
 『俳句に新しさを出そうとして、人生をもり込もうとする傾向があるが、人生そのものが近代化しつつある以上、いまの現実的人生は俳句には入りえない。俳諧修業は人格の完成であり、「俳句に人格の光あれ!」などといってみても、今日の世に風雅に遊んでいるものから光のさしようはないのである。』
 と述べられるのは、芭蕉の「不易流行」を知らないのか、と不思議な氣がするものの、その事は問はないとして答へるならば、もし藝術全てに近代の思想性が述べられなければならないのなら、小説が『近代』の『人生』を盛り込めさへすれば、それで良いと思つてゐる作家は、そんなに多いとは思はれない。
 詩に於いてでさへ、「現代の事を書いたからと言つて現代詩とはならない」と紫氏が言はれたやうに、感情の動物――人間は、大昔からそんなに根本的な所で變つてゐるとは思へず、噴射(ジエツト)機が飛び、新幹線の走る現代を書いたからと言つて、何が表現出來よう。
 所詮、人間の求めて來たものは、簡単にいへば「人間がどうすれば平安に暮せるか」といふ事であつて、それが多くの人々は自分さへさうなれれば良い、と勝手に行動するので、混亂が起きてゐるだけの話である。
 文學とは、それを大きな目で捉へる事に氣づくべきだ、といふ事を必死に表現してゐるものの事ではなからうか。
 桑原氏は、現代の俳句だけを見て、俳句といふ形式を不要と言ひ、その論據に、現代の俳人の幾人かだけの作品や、それらの人の持つ思想を採り上げてゐるのである。
 一體、藝術の評価はその藝術の反映した時代に決るものではなく、その時代が過ぎ去つてから後に決るもので、それは現代俳句と雖(いへど)も變(かは)りなく、特に子規以降の俳句の在り方は、桑原氏のやうに異を唱へる人も少なかつたので、無人の野を行くが如くであつたが、「寫生俳句」といふものは、早晩このやうな障碍に合ふのは當然と言へるだらう。
 その意味では、氏の一文は認めても構はないのだが、まだ評価の定まらない、詰り、現代俳句を本當に俳句と呼んでも構はないかといふ問題を含んだ儘で、俳句の形式を非難するといふ論調の亂れにこそ、より大きな問題があると筆者は思つてゐるのである。
 といふのも、芭蕉を引き合ひに出してゐるが、抑々、芭蕉は自身の作品を「俳句」とは言つてゐず、『發句』と稱してゐたので、俳諧の連歌をこそ主流としてゐた芭蕉にとつては、空しい議論であつた事であらうと思はれる。
 その亂れは、

 『たとえば俳壇の名家の世界認識とはどういふものであるか。萩原井泉水が『心不競(こころきそはず)』という文章で試みた自由の解釈を聞くとよい。(原文のまま)』

 といふ揶揄するやうな文章の後に、萩原井泉水氏の引用が続き、

 『自由とはオノズカラ由(ヨ)ルといふことを本義とする。桃の木にはおのづから桃の花を開く、その根元にある麦はおのづから麦の穂を出す、おのおのその由る通りに為る。相犯さず、制し合ふことをせずして、自然にのびのびと其生命を表現してゆく。これが真実、自由の姿なのだから、自由とは即ち心兢はずといふ心である。(中略)これを大にしては世界人類の理想である。さうして、これを小にしては、連句の世界の理念なのである。(原文のまま)』

 この引用を俎上に乘せて、

 『現代俳句に人生を盛ることが、いかに困難であるかはこれ以上くわしく述べる必要はないであろう。秋桜子が率直に「俳句の取材範囲は自然現象及び自然の変化に影響される生活である」(『現代俳句論』)といつたのは、極めて正しい。さきに私が氏を誠実といった理由は、ここにある。また氏は芭蕉を絶対視せず、現代俳句はむしろ「さび」「わびしさ」を捨てて、明るさを取るべしとする。私はこの意見の進歩的なるを認める。しかし、それで現代俳句が芸術として救われ得るであろうか。大切なのは作品である。それをどうして生産するか。ここで秋桜子が、絵画に学べ、と教えていることに私は注目したい。「俳句を詠むには、小品の絵を描くようなつもりで試みればよい。洋画にすれば四号位の大きさ、日本画にすれば色紙よりいささか大きい位のところを目標にして」(「黄蜂」二号)(原文のまま)』

 といふやうな事を言はれるのだが、
 『現代俳句に人生を盛ることが、いかに困難であるかはこれ以上くわしく述べる必要はない』
 と言はれても、『人生』とは字義通りに解釋すれば、人が生きるといふ意味にしかならず、假令(たとへ)一瞬と雖も『人生』に違ひないのであるから、事件を『盛ること』は無理としても、『人生』を『盛ることが』そんなに『困難である』とは思はれないし、又、
 『秋桜子が率直に「俳句の取材範囲は自然現象及び自然の変化に影響される生活である」(『現代俳句論』)といったのは、極めて正しい』
 といふ表現も、短詩形の特性を知らない發言で、俳句に季語があるのは、
 『自然現象及び自然の変化に影響される生活である』
 爲ではなく、象徴としての目的でしかないのである。
 それを、
 『現代俳句はむしろ「さび」「わびしさ」を捨てて、明るさを取るべしとする。私はこの意見の進歩的なるを認める』
といふのでは、滑稽も極まる。就中(なかんづく)、
 『ここで秋桜子が、絵画に学べ、と教えていることに私は注目したい。「俳句を詠むには、小品の絵を描くようなつもりで試みればよい。洋画にすれば四号位の大きさ、日本画にすれば色紙よりいささか大きい位のところを目標にして」(「黄蜂」二号)』
 といふ意見に到つては言語道斷で、俳句を、 『小品の絵を描く』事に準(なぞら)えたり、 『洋画にすれば四号』とか、『日本画にすれば色紙よりいささか大きい』といふ表現で、一體俳句のなにが解るといふのだらうか。
 冗談ではない。
 桑原氏は本當に文學の研究者なのだらうか、とここに來て筆者は疑問を持たざるを得ない。
 その證據に、少し長い文だが、この著書が「第二芸術」と呼ばれる所以ともなつた部分を示さう。

 『およそ芸術において、(原文のまま)一つのジャンルに心ひかれ、その方法を学ばんとすることは、あえてアランを引き合いに出すまでもなく、常にその芸術を衰退せしめるはずのものである。しかるにかかる修行法が、その指導者によって説かれるというところに、私は俳句の命脈を示すものを感じる。そして、その描かんとするものは何か。「自然現象及び自然の変化に影響される生活」、言葉をかえてはっきりといえば、植物的生である。さきに引用した井泉水の文章において、この俳人が現代の人間の最も重要な問題、自由を桃と麦という植物によって説明していたことを、読者は思い出すであろう。桃のことは桃にならい、麦のことは麦にならいつつ、植物的生を四号ないし色紙大に写し出すこと、こんにち俳句が誠実であろうとするとき、必然的にここに帰着せざるを得ないのである。かかるものは、他に職業を有する老人や病院が余技とし、消閑の具とするにふさわしい。しかし、かかる慰戯を現代人が心魂を打ち込むべき芸術と考えうるだろうか。小説や近代劇と同じように、これも「芸術」という言葉を用いるのは言葉の乱用ではなかろうか(さきに引用した文章で、秋桜子が「芸術」という言葉を用いず、いつも「芸」といっているのは興味深い)。もっともいかなる時世にも人は慰みをもつことを許される。老人が余暇に菊作りや盆栽に専念し、ときに品評会のごときを催し、また菊の雑誌を一、二種(三十種は多すぎる)出すのを、誰も咎めようとは思うまい。現代的意義というようなものを求めさえしなければ、菊作りにはそれとしての苦心も楽しさもある。それを誰も否定はしない。
  句を玉とあたためてをる炬燵哉 虚子
しかし菊作りを芸術ということは躊躇される。「芸」というがよい。しいて芸術の名を要求するならば、私は現代俳句を「第二芸術」と呼んで、他と区別するがよいと思う。第二芸術たる限り、もはや何のむつかしい理屈もいらぬわけである。俳句はかつての第一芸術であった芭蕉にかえれなどといわずに、むしろ率直にその慰戯性を自覚し、宗因にこそかえるべきである。それが現状にも即した正直な道であろう――「古風当風中昔、上手は上手下手は下手、いづれを是と弁(わきま)えず、好いたことにして遊ぶにはしかじ、夢幻の戯言なり」

 このやうに、
 「およそ芸術において、一つのジャンルが他のジャンルに心ひかれ、その方法を学ばんとすることは、あえてアランを引き合いに出すまでもなく、常にその芸術を衰退せしめるはずのものである」
 という指摘は一面的で、反對に進歩を促してゐる部分もあるから、一概に決めつける譯には行かないし、大體、形式が事態の變遷と共にその現實を盛り込めなくなつた時、人々から忘れられて行くのが形式といふものの運命であらうか、と表面的には思はれるのだが、多くの場合、それは形式に責任があるとは言へず、大抵は新たな形式が生れた爲に、それにとつて換られただけの事で、作家がそちらへ目移りしたといふものが殆どであらうから、その形式に現實を盛込む能力が缺如した爲ではなからう。
 元來、形式とは「マンネリズム」の極致とも言へるものであつて、内容が盛られて初めて「マンネリズム」を問ふべきものであるし、形式はそれ程無能なものではなく、それを活かさうと情熱を燃やす作家が現れるのを待つ事しか出來ないに過ぎないもので、それはブラアムスが交響曲第四番の終楽章で、「パツサカリア」といふバツハの頃でさへ忘れられたやうな形式を利用して作曲されてゐる事でも、形式といふものの頑丈さを知る事が出來るだらう。
 但し、自由律俳句は盛るべき器がないので、定型とは認められない。
 さうして、次の最も重要な伏線の、
 「もっともいかなる時世にも人は慰みをもつことを許される。老人が余暇に菊作りや盆栽に専念し、ときに品評会のごときを催し、また菊の雑誌を一、二種(三十種は多すぎる」)出すのを、誰も咎めようとは思うまい。現代的意義というようなものを求めさえしなければ、菊作りにはそれとしての苦心も楽しさもある。それを誰も否定はしない」
 といふ理論は、現代を書くとは、過去のものを引摺りながら現代を生きるといふ事に外ならないから、現代を直接書かなくても、さう讀み取れれば良いといふ事が言へ、さういふ意味では「菊作り」にだつて、過去からの道具の進歩や作り方も違へば、思想とか科學・化學の發達に應じて、環境問題にまで觸れる事が可能であると思はれるので、立派に現代を表現してゐると言へるだらう。
 このやうな論の亂れは、氏の藝術觀にも見られ、
 「秋桜子が「芸術」という言葉を用いず、いつも「芸」といっているのは興味深い」
 といふ箇所も、この批評の仕方は、粗品ですがと言つたのに對し、そんな粗末な品物はいらないと答へるに等しく、一種の詭辯術と言へまいか。
 かくして桑原氏の論調は、巨大なうねりを見せた儘、愈々核心に近づき、
 「しかし菊作りを芸術ということは躊躇される。「芸」というがよい。しいて芸術の名を要求するならば、私は現代俳句を「第二芸術」と呼んで、他と区別するがよいと思う。第二芸術たる限り、もはや何のむつかしい理屈もいらぬわけである。俳句はかつての第一芸術であった芭蕉にかえれなどといわずに、むしろ率直にその慰戯性を自覚し」
 といふ論調には、藝術への愛情も感じられず、しかも「芸」と「芸術」の違ひがどれ程のものかを説明しなければ、とても諒解出來ないものである。
 筆者の意見を言はしてもらへば、「芸」と「芸術」との違ひは、所詮表裏一體のもので、いづれが缺けても安定しないものだと言ふしかないのだが、しかし、「第一」とか「第二」といふ考へそのものが藝術的ではない。
 長篇小説と短篇小説の優劣を論じて見ても始まらぬやうに、それぞれの長所と短所をあげつらつた所で、それは雙方の作品に於ける善し惡しは諒解出來るものの、その事を以(もつ)て分野そのものの存在の優劣を決定した事にはならない。
 それは大伽藍の壁畫とエツチングとを比較し、どちらの表現手段が優秀であるかを論じるやうなもので、その論じ方が間違つてゐる。
 問題はその内容である。
 凡(およ)そ、これだけ情けない論文とは言へないやうな非難に對して、當時の俳人が何も言へなかつたのだらうか。
 筆者が知つてゐるのは、これもこの本の「まえがき」にあるものを引用すれば、

 「自分らが始めた頃は世間で俳句を芸術だと思っているものはなかった。せいぜい第二十芸術くらいのところか。十八階級も特進したんだから結構じゃないか」

 といふ虚子の言葉だけで、これが日本を代表する俳人かと思ふと、日本人の議論下手と言はれる論理能力の缺如には、呆れるしかないが、それでも、筆者がこの論の中で最も賛成出來たのは、

 「俳句の自然観察を何か自然科學への手引きのごとく考えている人もあるが、それは近代科學の性格を全く知らないからである。自然または人間社会にひそむ法則性のごときものを忘れ、これをただスナップ・ショット的にとらえんとする俳諧精神ほど背反するものはないのである」

 といふ文章の、
 「スナップ・ショット的にとらえんとする俳諧精神ほど背反するものはない」
といふ箇所だけで、この事に就いてはいづれ「發句雜記」で述べる心算(つもり)である。
 以上が、『第二芸術』といふ論文の内容であるが、最後に言はせてもらへば、殘念ながらこの文章は論とは言へず、寧ろ主情的な好みを述べただけで、この作品が世間を騒がせたのは、それこそこの著者が高名な學者であつたからで、これが名もない人の書いた文章であつたら、もう少し冷靜に、この論の矛盾に氣がついてゐたのではないかと思はれるし、多くの人の目に止まる事もなかつたであらう。
 丁度、筆者のこの一文のやうに……。

 

 

     ☆參考文獻

『第二芸術』  桑原武夫著  講談社学術文庫
『省略の文学』 外山滋比古著 中公文庫

註)興味のある方は讀んでみて下さい。

TEL 06-6334-2218 午前11時~午前12時30分

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