作品を讀む時、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)の
『YAMAHA QY100 Motion1(竪琴・harp)曲 高秋 美樹彦』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は奈良懸にある、
『石舞臺』
へ出かけた時のものです。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。
ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひません。
ご自由にどうぞ。
再び『007 Spectre(スペクタア)』を觀て
映畫(えいぐわ)の『007 Spectre(スペクタア)』は去年の暮に、既に「109シネマズ箕面」の劇場で觀たのだが、『TSUTAYA』のDVD貸出(レンタル)が開始されたので改めて觀る事にした。
「Spectre(スペクタア)」とは、
「幽靈・亡靈・妖怪・恐ろしい幻影」
といふやうな意味があり、詹母斯邦(ジエエムス・ボンド)の所屬する英吉利(イギリス)の諜報機關ばかりでなく、敵對する蘇連(ソビエト)連邦や他の世界の全てを敵にまはして暗躍する組織として、この連作(シリイズ)の當初(たうしよ)から設定されてゐた。
この映畫で、その祕密組織の首領(ボス)の正體が遂に明かされる事となるのだが、これまでボンド作品の仕切直しとしてダニエル・クレイグが演じた今作が四作目となる初めての對面の時に、
「來るのが遲かつたぢやないか」
と言つて、郭公の鳴き聲の物眞似をするのであるが、ここに「エルンスト・スタヴロ・ブロフエルド」といふこれまで謎に滿ちた存在が、ボンドと近しい關係にあつた事を鑑賞者に提示する。
この首謀者は、實(じつ)は原作者イアン・フレミングの自作(オリヂナル)には設定されてゐず、脚本家によつて創案された人物であつたが、映畫の大當り(ヒツト)で氣を良くした原作者がそれを受けて無斷で登場させて仕舞つたことから、裁判で慰藉料(ゐしやれう)を拂(はら)ふ破目になつた。
その事で、長らくボンド映畫からはその存在は消え去つてゐた。
それが今囘の二十四作目にして、漸くその犯罪組織の首領が復活したのである。
さうして、彼の口からここまでの四作品の全ての事件は、「スペクタア」といふ多國籍犯罪結社によつて引起されて來たのだと首謀者の口から聞かされ、その正體も「エルンスト・スタヴロ・ブロフエルド」と名乘つてはゐるが、本當(ほんたう)はフランツ・オオベルハウザアといふ名前で、しかもボンドの養父と同じうする義理の兄であつた事が解るのである。
詰り、義理の兄弟として幼少期を過ごしたのだが、實の父が養子ボンドにも注がれ、その愛を獨り占めに出來ない事からか、それとも他に人格的な理由があつたのかは不明だが、雪崩事故を裝(よそほ)つて父親を殺害すると同時に、自身の死も演出して世界的な犯罪組織を結成し、ブロフエルドとなつたのだと告げられるである。
郭公といふ鳥は不思議な習性があつて、他の鳥の巣に卵を産んでその鳥に我が子を育てさせるのである。
これを「托卵」といつて、この酷い事を平氣でしてゐるのが、
「ボンド、お前である」
といふやうな事で、ブロフエルドは主人公ボンドを非難するのである。
このやうな科白まはしからも伺へるやうに、活劇としての面白さもさる事ながら、讀み解く醍醐味も與(あた)へてくれるので、この脚本家の手腕は竝のものではないやうに感ぜられる。
主人公のボンドが不死身であるのと同時に、その敵對するブロフエルドも不死の存在で、それは丁度シヤアロツク・ホオムズに對するモリアテイ教授に比するものであり、敵に完全に勝利したと思つても復活して主人公の前に出現する。
作劇術(ドラマツルギイ)として惡が強大であればあるほど、善である主役が引立つのであるが、この二人は善と惡といふ敵對する關係でありながら、人類最初の殺人と言はれる加害者と被害者の該隱(カイン)と埃布爾(アベル)が兄弟であつたやうに、その事が「善」と「惡」の根本的な原因であつた事を証明でもするかのやうに、主題(テエマ)として作品に通底してしてゐるやうに思はれた。
さうとでも考へざるを得ないやうな知性を擽る表現を愉しんで見てゐたが、この世界觀を上手く表現したのが、テイム・バアトン監督の『バツトマン(1989)・バツトマンリタアンズ(1992)』の二作で、それ以降は單なる活劇物となつて仕舞つてゐる。
これについては、いづれ書いて見ようと思つてゐるのだが……。
二〇一六年四月十一日午後四時 店の二階にて記す
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007『スカイフォール』を觀(み)て
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