この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)の
『YAMAHA QY100 Motion1(竪琴・harp)曲 高秋 美樹彦』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
映像は奈良懸にある、
『石舞臺』
へ出かけた時のものです。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。
ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひません。
ご自由にどうぞ。
第七藝術劇場で
『Behind “THE COVE”(ビハインド・ザ・コオヴ)』を觀て
二〇一六年四月九日に阪急の十三(じふそ)驛にある『第七藝術劇場』といふ映畫(えいぐわ)館へ行つて來た。
この小屋の評判は隨分以前から耳にしてゐて、そこから寶塚線の二驛(ふたえき)先にある庄内に住んでゐる身としては、他の人に比べれば指呼(しこ)の間(かん)であるといへるにも拘はらず、これまで足を向ける事はなく、そのまま梅田へ出て仕舞ふか、車を走らせてお馴染みの「109シネマズ箕面」へ出かけて濟ませてゐた。
それが新聞に『Behind “THE COVE”(ビハインド・ザ・コオヴ)』の記事が載つてゐて、第七藝術劇場で上映されるといふのを妻が教へてくれたのである。
映畫『ザ・コーヴ』については見てゐなかつたが、それに關する一文を書いた事があつたので、この映畫は是非とも見なければといふ使命感みたいなものが生れて、重い腰を上げようかといふ氣になつた。
映畫館は直ぐに見つけられて、第七とあるにも拘はらず「サンポオドシテイ」といふビルの六階であつたのには苦笑した。
上映の一時間も前に入場卷を買つたのに八十六番目であつた。
防災上の定員數が立見席も含めて百四十人だといふから、あとどれほどの觀客が集るのだらうかと野次馬の氣分を味はひながら興味深く觀察してゐた。
餘りにも時間があつたから、このビルの二軒隣にある喫茶店で珈琲を飮んで、入手したシネマ情報の小册子(パンフレツト)を見ながら時間調整をした。
さうしたら「ナナゲイ會員(くわいゐん)」の募集の申込書があつたので、早速筆記用具を借りて珈琲を片手に記入した。
喫茶店の對應(たいおう)も氣持良かつたので、これからお世話になるだらうと思ひながら館内に戻つた。
驚いた事に、昇降機(エレベエタア)を降りた六囘の廣間(ホオル)には、これでもかといふ觀客が溢れんばかりにゐて、押分けるやうに中の入場卷(チケツト)賣場で年會費を拂(はら)つて會員になつた。
人いきれで汗ばむ程の熱氣の中、順番を待ちながら係員の指示に從つてゐたが、聞く所によると、どうやら立見席も出るやうで、百四十人の満員御禮ださうである。
この盛況ぶりには驚いてしまつて、これがこの映畫館の常態なのか、それともこの映畫の評判ゆゑだつたのか、將又(はたまた)土曜日といふ曜日の所爲(せゐ)なのか、筆者にとつては初めての訪問だつたので判斷は出來兼ねた。
映畫は、これについては少し調べた事もあつたので、情報(デエタア)としては特に目新しいものはなかつたが、拼貼畫(コラアジユ)といふか綴布拼圖(パツチワアク)といふか、その演出ぶりが功を奏して見應へのあるものであつた。
例へば、
「菜食主義者(ベヂタリアン)としては、肉食を止めるのが目的だ」
といふ代表的な人の意見には、失笑を禁じ得なかつた。
それならば態々(わざわざ)太地町まで出向かなくても、自国内で消費する肉食の文化の廢止を訴へ、菜食主義の効用を説けば良かつた筈ではないか。
勿論、人心を掌握するには戰術も必要で、その爲には聖書を持出して賢い動物を食べるのは野蠻だとか言つて耳目を集め、敵を想定して身内を固めるといふ方法論は有効であらう。
さうする事によつて、段階的に菜食へと歩を進めるといふのは諒解出來るものではあるものの、では、動物を食べずに植物を攝取するから許されるのかといふと、これは一人相撲も良い所ではないかと思はれるのである。
といふのも、植物だつて動物と變る事のない生物であるからで、確かに動物に比べて生きものを食べてゐるといふ生々しさはないが、命を食べるといふ食物連鎖の中の最高位に位置する人間がこんな事をいふのは、驕り以外の何ものでもない。
人類は他の動物と同じやうに、動植物を食べなければ生存出來ないのである。
或いは、將來に植物と同じやうな光と水によつて生命を存(ながら)へる技術を科學によつて確立出來るかも知れないが、その時までは偏つた食生活を餘儀なくされる必要があるとは思はれない。
我々は動植物を食べなかつたとしても、不知不識(しらずしらず)の内に「衣食住」の「食」以外の日常生活の中で、衣服であつたり、細々(こまごま)とした日用品といふ形で、その動植物の恩恵に浴してゐるに違ひないのである。
それらを無視して、
「食べるな! 殺すな」
といふ一面的な見方だけで論を進めるのは、皮相な考へであると斷ぜざるを得ない。
八木惠子監督はこれが初めての映畫制作だと言ひ、上映終了後には八木監督との座談會(トオクシヨウ)もあつて、勿論、參加して彼女の撮影時や映畫祭での體驗談に耳を傾けた。
「敵の敵は味方」といふけれども、太地町の住民にすればこの町に撮影に來る者は、
『ザ・コーヴ』
といふ映畫が撮影されて以降、
「そつとしてほしい」
といふ姿勢(スタンス)が強く、眞逆(まさか)監督とは思ひもしない八木女史の撮影する姿には、有體(ありてい)に言へば「またか」といふ對應(たいおう)でしかなかつたやうである。
普通に考へれば、敵であり味方かも知れないといふ振分けで取材の面談會談(インタビユウ)をする傾向にあるのだが、この監督の場合はさういふ肩に力の入つたものではなく、大らかな寫眞機操作(カメラワアク)で對象(たいしやう)を捕へてゐるので、それが氣持良く鑑賞出來た理由なのだらう。
監督が實際に考へてゐた上映時間は、何と三時間以上に及ぶものであつたさうだが、それを一〇七分にまで短縮したとの事であつた。
映畫館での興行としては、入替へによる収益も無視できないので已むを得ないけれども、DVDを發賣される時には、監督による完全版も販賣されれば良いのではないかと思つたりする。
トオクシヨウの最後には、意見は駄目で質問だけを受附けると言はれたので、少しばかり述べれば、よく言はれるのが、
「食べる時は感謝して」
といふ言葉を聞くが、だからと言つてかういふのも僞善的な匂ひがするので抵抗がある。
それは何故かといふに、人を殺す時に感謝したからと言つて、到底許される筈はないと思はれるからである。
二〇一六年四月一六日午前四時半 店にて記す
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追記
トオクシヨウの會場で撮影の許可をもらつたのだが、うつかりして掲載の承諾を得てゐなかつたので、劇場側から許諾濟みの入口の寫眞を掲載するに留めるのみとなつた。