この作品を讀む時に、
この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリヂナル)の
『motion1(cembalo)』
といふ曲で、
YAMAHAの「QY100」で作りました。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、
ない方が良いといふ讀者は
聞かなくても構ひませんので、
ご自由にどうぞ。
二、拾公捨私(しふこうしやし)
息子が兵に採用された時、その母親がどんな將軍に仕へるのかと聞いたところ、使ひの者が、それは世に名の聞えた名將だと言はれて、思はず涙を流した。
どうしたのかと尋ねる使ひの者に、それでは息子の死は逃れられないと母は答へた。
『一將功成りて萬骨(ばんこつ)枯る』
唐の曹松の詩「己亥歳」の一節であるが、これは一人の大將の功名の蔭には、無數の兵士の戰死といふ犧牲があつて、その上で成功者となつたので、その事を心しなければならないといふ意味である。
多くの人が、自分の爲に勉強をし、出世をし、家庭を持つて幸福になりたいと願ふ。
美味いものを食べ、酒を飲み、健康を願ひ、人に親切にするのも、結局は自己の優しさに滿足する爲である。
しかし、だからと言つて、それらは誰かに咎(とが)められるやうな惡い事ではない。
けれども五十歳を過ぎる頃には、そろそろ、
「私が私が」
といふ我を捨てて、本當に淡々と公(おほやけ)の行事に奉仕する可きだらう。
「將」にもならず、誰も人樣を「枯」らせず、それらの父母にも悲しみを與(あた)へず、潔(いさぎよ)く「公(おほやけ)」を拾つて、「私(わたくし)」を捨てる。
斯(か)くありたいものである。
而(しかう)して造語せむ。
『拾公捨私』
忍太郎
一、座右の銘 『達磨忌に思ふ』