通夜に出かけて
死は誰も避けられぬ身や年の暮 無空
しはたれも さけられぬみや としのくれ
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十二月十四日に知り合ひの祖母が亡くなつたと教へられて通夜に參列した。
場所は最近になつて近所に出來た葬儀場であつた。
この句はその時に詠んだものであるが、その日に發表するのも憚られたのでこのやうな事になつた次第である。
改作を「死は誰も避けられぬ身が年の暮」と、中句の「や」を、
「が」
と置換へたのだが、これだと、
「死んでも可笑(をか)しくない年を重ねた身であるが、今年も何とか生延びられさうだ」
といふ感慨を述べた句意となり、それでは餘(あま)りにも自身の事に囚(とら)はれ過ぎてしまつて、死者への弔ひの氣持ちが薄く感ぜられやしまひかと思はれる。
これが、
「や」
だと、からくも生殘つた己が身を鑑(かんが)みれば、いづれは同じ身となるであらう死者を悼まずにはゐられないといふ鎭魂の思ひに胸は塞がれるのである。
切字の「や」によつて、今年も何とか生存(いきながら)へさうだといふ感慨と、茫洋と廣がる年の瀬の雜踏が背後にひかへてゐるのである。
さういふ意味では、
あつてなき存在なれや逹磨の忌 不忍
あつてなき そんざいなれや だるまのき
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といふ句意と軌(き)を一(いつ)にするものと考へてゐる。
「無空」
といふ俳號に就いては、
「近江不忍(あふみのしのばず)」
といふ五十年に垂(なんな)んとする號がすでにあるのだが、何かを求めんが故の名前にいつまでも拘つてゐるのもどうかと氣がして、斯くあらんと號を一新せんと思ひ到つたのである。
けれども、凡夫の見なれば「不忍」も捨て難く、時に應じて使ひ分けん所存と心得る事にしたのである。
一、達磨忌に思ふ 『座右の銘』
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二、拾公捨私(しふこうし
やし)『座右の銘』
二〇一六年十二月二十二日(木) 午前二時二十二分 店にて記す
追記
「無空」
といふ名前に就いては、平安時代前期の眞言宗の僧の存在があり、無念なる思ひあれど已む無しとする。
氣に入つてゐる號なればなり。