一月三日
號(がう)を變(か)へて
思ひあれど徒手空拳の寒さかな 無空
おもひ あれど としゆく う けんの さ むさ かな
C♪♪♪ ♪♪ †ζ┃♪ ♪ ♪♪♪♪ †┃♪♪♪♪ †ζ┃
初案は上句が「氣合だけで」であつた。
それから「思ひだけで」と變化(へんくわ)して最終案となつた。
「思ひあれど」は六音の字餘(じあま)りであるが、「思ひ」を三連符(♪♪♪=†)の一拍と「あれ(♪♪)」の一拍、「ど(†=四分音符の代用)」と「四分休符(ζ=代用)」の二拍との計四拍となり、發句の「四分の四拍子・三小節」といふ基本形に適ふ事となる。
人は生まれた時は無垢であるといふが、それよりも何よりも裸でこの世に出現して何も持つてゐないといふ事で、それを「無一物(むいちもつ)」といひ、轉(てん)じて一切の煩惱(ぼんなう)を離れた境地を指すやうにもなつた。
我が號もそれに倣(なら)つて「無空」とは稱(しよう)したものの、決意は名ばかりで蒐集癖(しうしふへき)は一向に改まらず、恥かしながら煩惱の海にドツプリと浸かつたままである。
外出時に手提げの鞄(かばん)を持たずに、外套(ぐわいたう)だけでぶらりと歩をすすめる。
元來、忘れ物の氣(け)がある筆者であるから、何かを持つといふ事はせずに、手荷物は衣嚢(ポケツト)に収納して出歩いてゐるが、「無空」と號してより憚り多くて無手で外出すると覺束(おぼつか)なくて、思はず知らず寒さが身に沁みるやうな氣がするのである。