一月十日
恐らく今年最初で最後の惠比壽詣で
出かけるは今日ばかりなり初惠比壽 無空
でかけ るは けふばか りなり はつゑびす
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今日は「十日戎(とをかえびす)」で、昨日の「宵戎(よひえびす)」
は娘が服部天神に出かけたから、今度は妻と一緒に庄内神社へ行つた。
晝(ひる)だつた所爲(せゐ)かも知れないが、思つた程の賑(にぎは)ひではなかつた。
信仰心の薄い筆者であるから、こんな事は年にさう何度もあらう筈もないだらうが、
「一緒に行かう」
といふ妻の誘ひを無下に斷わるまでもないと、ぶらぶら散歩がてら出かけた。
『惠比壽』といふのは「惠美須」とも表記され、現代假名遣(げんだいかなづかひ)ではいづれも「戎」と同じ『えびす』といふ假名を振り、辭書(じしよ)には歴史的假名遣でさへも「惠」を「え」としてゐる。
けれども、
「惠」
は歴史的假名遣では「ゑ」なので、それでは整合性が伴はず、それでも辭書としてそれを拔き通すのならば納得が行かうものだらうが、
『惠方』
の時には「ゑはう」と記載されてゐるので、これではご都合主義に過ぎるのではないかと訝られてしまふ。
元が「戎三郎(えびすさぶらう)」なのだからといふのであれば、『惠』の漢字を避けるか、さうでなければ、
『戎・蛭子=(えびす)』
『惠比壽・惠美須=(ゑびす)』
表記を仕分けるのが無難ではないかと思はれるのだが……。