一月十一日
鏡開きの日に
善哉を客にふるまふや鏡割 無空
ぜんざいを きやく にふる まふや かがみわり
C♪♪♪♪†ζ┃γ ♪ ♪♪♪♪ ♪♪♪┃♪♪♪♪ †ζ┃
初案の下句は「鏡開き」と置いたが、字餘りなので直ぐに最終案となつた。
別に「お供へくづし」とも言はれる「鏡開き」は、正月十一日に年神に供へられてゐた『鏡餅』を下げて、刃物で切る事を忌み嫌つて手や槌で割り、家族一同で食するが、「切る」といふ言葉も避けて「開く」とした。
元は武家社會の風習が一般化したものと考へられ、刃物で餅を切ると切腹を聯想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて忌み言葉の「開き・割り」を使用するのである。
更に調べれば、『善哉』は小豆を砂糖で甘く煮て、餅や白玉團子や栗の甘露煮などを供した食べ物で、關東では汁氣のない餡(あん)そのものを「ぜんざい」と呼び、關西地方では粒餡を用ゐた温かい汁物を呼ぶが、汁氣のない餡のものは「亀山」とか「小倉」と呼ばれる。
一方で、「おしるこ」とも呼ばれる汁粉(しるこ)は、關東では漉(こ)し餡を用ゐたものもつぶし餡の場合でも汁粉と呼ばれるが、關西では漉し餡を汁粉と呼び、つぶし餡を用いたものは善哉と呼び分けるのだといふさうである。
我が家では妻の幸(みゆき)ちやんの御蔭で、かういふ行事には積極的に參加させられてゐるが、子供達もそれに倣(なら)つて成人した今でも個々で受繼いでくれてゐるやうである。
さうして、それは店に於いても變る事がなく、來店されたお客樣にも振舞ふのである。
勿論、鍋に一杯作つたとはいへ、量に限りがあるので無くなればそれ限りであるが、生きてゐればこそ人に出來る事をしようと心がけてゐる姿勢には、我が連合ひながら感心させられてしまふ。