八、發句の形式に就いて
(About the form of Hokku)
『發句雜記』より
この作品は自作の發句とか詩や小説、隨筆などを讀んで戴く時に、
BGMとして流さうと思ひつき、
樣々なヴアジヨンを作らうとした内のひとつで、今囘は、
『Motion1(Mirror) &(Substance) 高秋美樹彦(Takaaki Mikihiko)』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
場所は伊丹市の柿衞文庫(KAKIMORI BUNNKO)で撮影したものです。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。
ない方が良いといふ讀者は、ご自由にどうぞ。
八、發句の形式に就いて
(About the form of Hokku)
發句が基本的には五七五の十七文字からなり、季語を有するものである事は誰でも知つてゐる。
しかし、こんにちの形式を手に入れるまで、實(じつ)に長い年月が必要であつた。
元來、言葉といふものには、どんな言葉にせよ特定の拍子(リズム)を持つてゐる。
その言葉を繋げる時に、また、全體(ぜんたい)としての異なつた拍子が出來る。
その拍子が最も美しい状態で、一番短い形式が發句と言へるだらう。
言ふまでもなく、發句は和歌の一體(いつたい)である連歌より成立したが、古來、歌體(かたい)は、三句・四句・六句・八句による不定型もあつて、更に三・六・五・五・二や、五五調とおもはれるものから、次第に五七調に収斂(しうれん)されて、日本の韻律の基本單位となつた。
歴史的には、藤原以後に五音七音の二句が單位となり、これを反復して繰返し、最後を七音七音で止めるのが、『長歌』と呼ばれるものである。
『短歌』は、五七五七七の三十一文字(みそひともじ)より成り、稀(まれ)に五七五七八の字餘(じあま)りや、その他の不定型の古歌もあり、句切れも「五七・五七七」の形が多く、「五七五・七七」と切れるものは、『萬葉集(まんえふしふ)』の時代には少ないさうである。
『旋頭歌』は、奈良朝以前は盛んで、五七七五七七の三十八文字であるが、内容は短歌と大きな變化が認められない所から衰退してしまつて、近年では、芥川龍之介(1892-1927)が『越し人』を詠んでゐるばかりである。
それよりも、この歌體が、古代の『片歌』と呼ばれる、五七七の問答の形式から發達した事の方が面白く、形としては逆行してゐるものの、のちの『短歌』の五七五七七から派生したかのやうに見える、發句を聯想させる。
他に、『佛石足歌體(ぶつそくせきかたい)』といふ五七五七七七の珍しい形式もあるが、これは『旋頭歌』の五七七五七七を竝べ變へたか、あるいは『旋頭歌』と『短歌』の組合せかも知れないし、それに『長歌』の影響も考へられるが、普通に考へれば、『短歌』五七五七七の末尾に七句を添えて六句としたものといふのが、最も穩當(おんたう)な所だらうが、現在では殆ど忘れられた形式と言へるだらう。
やがて、『今樣(いまやう)』の七五調や、『歌合(うたあはせ)』の時代を經(へ)て、『連歌』の時代となる。
『連歌』は「筑波の道」とも言はれ、『短歌』の「五七五」の上句と、「七七」の下句の各句を、それぞれ異なつた人が詠み、それを一定の數に纏めたものであり、謂(い)はば、遊戯の域を出ないものであつた。
そこから生れたものが俳諧で、決して『短歌』の「上句五七五」を取上げて、いきなり發句が成立したものではないのである。
とは言へ、『旋頭歌』の「上句五七七」を『片歌』と言ひ、『短歌』の「上句五七五」を『發句』といふ考へがもしも許されるならば、發句は『季語』のない『片歌』のやうに、「五七七」と詠む事は勿論、他の『字足らず』や『字餘り』は、出來得る限り退(しりぞ)けなければならない事は、自明の理と言へるのではあるまいか。
しかしながら、形式といふからには約束事があり、その約束を守りさへすれば、誰でも創作出來なければならず、またある程度の許容も、その約束の中に含まれてゐるのは確かである。
音樂でいふならば、『奏鳴曲(ソナタ・Sonata)』といふ樂曲があるが、これは基本は四樂章から成立し、第一樂章を速い巨大な變形された「複合三部形式」とも言へる「奏鳴曲(ソナタ)形式」で出來てゐる。
第二楽章は「緩徐(くわんじよ)樂章」で、「複合三部形式」の美しい歌謡曲風の曲が多い。
第三楽章は「トリオ(trio)」を中間部に持つ舞蹈曲で、これも「複合三部形式」である。
第四樂章が、再び速い「奏鳴曲形式」か「輪舞(ロンド)形式」の曲で出來てゐて、
「速い・緩(ゆつく)り・舞曲・速い」
といふ速度による變化を味はひながら、終曲を迎へるのである。
これらの『奏鳴曲(ソナタ)』といふ形式で作られた曲が、管絃樂器で演奏されるのを『交響曲』と言ひ、獨奏鍵盤樂器で演奏されれば、『鍵盤樂器(ピアノ)奏鳴曲』といふ。
他に、絃樂器によつたり、鍵盤樂器(ピアノ)や木管樂器・金管樂器などを含んだ二重奏から八重奏あるいはそれ以上の曲もある。
また、獨奏樂器と管絃樂器との合奏による協奏曲では、例外もあるが三樂章の舞蹈形式が省かれる。
しかし、これらの形式も貝多芬(ベエトオヴエン・1770-1827)の交響曲第九番『合唱』のやうに二樂章と三樂章とが入れ替つてゐたり、莫差特(モオツアルト・1756-1791)の『k.331・トルコ行進曲附き』と貝多芬の『Op.27-2・月光』の洋琴(ピアノ)奏鳴曲のやうに、一樂章の部分が缺落してゐたり、布刺謨茲(ブラアムス・1833-1897)の四つの交響曲のやうに三樂章の部分も歌謡風にしたり、柴可夫斯基(チヤイコフスキイ(Tchaikovsky)・1840-1893)の交響曲第六番『悲愴』のやうに四樂章を緩徐樂章にしたり、交響曲全樂章を切れ目なく繋げて一樂章のやうにしたり、更にベルリオオズの『幻想交響曲』のやうに一樂章を加へて五樂章としたりして、形式を打破らうとした樣々な音樂も確かに存在する。
それは丁度、發句の「字餘り」や「字足らず」のやうであり、各樂章は「句切れ」といふ事が言へるかも知れない。
けれども、樂章が省かれたり如何に追加されても、或は各樂章が入れ替り速い樂章が緩(ゆる)くなつても、奏鳴曲形式を必ず含ませなければ奏鳴曲とはならないといふ大原則は依然として殘つてゐるし、寧ろ、殘さうとしてゐるといつても良いだらう。
勿論、莫差特の『トルコ行進曲附き』などといふ曲のやうな例外もあるにはあるのだが……。
發句に於いても、基本は「季語」を有した「五七五」の十七文字で創作され、それに近づけようとする意志を忘れてはならず、最終的に「破調・破格」になつたといふのでなければならない。
芭蕉の談林風の俳諧でも、推敲の跡が著しいのである。
こんにちの『自由律俳句』と稱する人々の詩句のやうに、原石の儘で投棄てたやうな句といふものは、いただけないと言へるだらう。
磨いて金剛石(ダイヤモンド)とする可きだらう。
一九八七昭和六十二丁卯(ひのとう)年十月二十三日
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九、定型と自由律に就いて(About fixed form and freedom rule)『發句雑記』より