九、定型と自由律に就いて
(About fixed form and freedom rule)
『發句雑記』より
この作品は自作の詩や小説、隨筆などを讀んで戴く時に、BGMとして流さうと思ひつき、樣々なヴアジヨンを作らうとした内のひとつで、今囘は、
『Motion1(Mirror) &(Substance) 高秋美樹彦(Takaaki Mikihiko)』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
場所は伊丹市の柿衞文庫(KAKIMORI BUNNKO)で撮影したものです。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひです。
ない方が良いといふ讀者は、ご自由にどうぞ。
九、定型と自由律に就いて
(About fixed form and freedom rule)
『俳句』が十七文字で「季語」を有し、しかも多くが「五七五」と詠まれるのを目安とするのは異論のないところであらう。
尤も、こんにちでは『自由律俳句』と稱する人々の擡頭(たいとう)で、それも怪しいと見る向きもあつたが、しかし、『俳句』がその昔、發句と言はれて連歌から獨立した時から、その問題は論じられてしかるべき筈であつた。
例へば、貞門と談林の二つの派は、あきらかに今日の定型派と自由律派の象徴として見る事が出來る。
但し、貞門の發句は定型を守りながらも、
冬籠り蟲けらまでも穴かしこ
ふゆごもり むしけらまでも あなかしこ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
といふ句のやうに遊戯の範疇(はんちう)を出ない傾向が強く、また談林は表現の自由と稱して、
郭公(ほととぎす)いかに鬼神もたしかにきけ
ほととぎす いかにきじんも たしか にきけ
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪ †♪♪ζ┃
のやうに「字餘り」の句が多く、こんにちに於ける『自由律俳句』と稱する人々の詩句ほどの破格はないが、その精神が古い殻を破らうとする革新的といふ意味では似てゐると言へるだらう。
それらの動きから脱却しようとして現れたのが伊丹の人、上嶋鬼貫(うへじまおにつら・1661-1738)や伊賀の人、松尾芭蕉(1644-1694)である。
特に芭蕉の出現によつて、發句は藝術としての高處(たかみ)にまで押上げられる事が出來たのである。
だが、芭蕉と雖(いへど)もそこに到達するまでには、隨分と紆餘曲折があつた。
定型の發句を詠みながらも、談林風の破格を捨て切れずにゐた。
その句を示せば、
於(あゝ)春春大(おほい)ナル哉春と云々
あゝはるはる おほいなるかな はるとうんぬん
C♪♪♪♪♪♪ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃
夜ル竊(ヒソカ)ニ蟲は月下の栗を穿(ウガ)ツ
よる ひそか に むしはげつかの くりを うがつ
C♪♪ ♪♪♪ †ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪ ♪♪†ζ┃
枯枝に烏のとまりたるや秋の暮
かれえだに からすの とまり たる やあきのくれ
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪┃†♪♪♪♪†┃
愚(ぐ)案ずるに冥途もかくや秋の暮
ぐ あんずるに めいどもかくや あきのくれ
C♪┃♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†γ┃
いづく霽(しぐれ)傘をてにさげて歸る僧
いづく しぐれ かさをてに さげて かへるそう
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪ ♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
雪の朝獨り干鮭(からさけ)を噛(かみ)得たり
ゆきのあさ ひとりから さけを かみえたり
C♪♪♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪ ♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
餅を夢に折結(をりむすぶ)齒朶(しだ)の草枕
もちを ゆめに をり むすぶ しだの くさまくら
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪ ♪♪♪ ♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
夕皃(ゆふがほ)の白ク夜ルの後架(こうか)に帋燭(しそく)とりて
ゆふがほの しろく よるの こうかに しそく とりて
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪♪♪┃♪♪♪ ♪♪†ζ┃
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉
ばせう のわきして たらいにあめを きくよかな
C♪ † ┃♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪♪┃
櫓の聲波を打て腸(はらわた)氷る夜や涙
ろのこゑ なみを うつて はらわたこほる よやなみだ
C♪♪♪♪┃♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
氷にがく偃鼠(えんそ)が喉をうるほせり
こほり にがく えんそがのどを うるほせり
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
髭(ひげ)風ヲ吹いて暮秋歎ズルハ誰ガ子ゾ
ひげ かぜを ふいて ぼしうたんずるは たれがこぞ
C♪♪┃♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†┃
夜着は重し呉天に雪を見るあらん
よぎは おもし ごてんにゆきを みるあらん
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
馬ぼくぼく我を繪に見る夏野かな
うまぼくぼく われをゑにみる なつのかな
C♪♪♪♪♪♪ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
猿を啼(なく)旅人捨子に秋の風いかに
さるを なく たびび と すてごにあきの かぜいかに
C♪♪♪┃♪♪ ♪♪♪ †ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪♪┃
藻にすだく白魚やとらば消えぬべき
もにすだく しらうをや とらば きえぬべき
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪† ♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
馬に寢て殘夢月遠し茶のけぶり
うまにねて ざんむざんげつ ちやのけぶり
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃ ♪ ♪♪♪†ζ┃
手にとらば消えん涙ぞあつき秋の霜
てにとらば きえん なみだ ぞ あつき あきのしも
C♪♪♪♪†ζ┃♪♪♪ ♪♪♪ † ♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
めでたき人のかずにも入らん老のくれ
めでたき ひとの かずにもいらん おいのくれ
C♪♪♪♪ ♪♪♪ζ┃♪♪♪♪♪♪†┃♪♪♪♪†ζ┃
かくの如く、ざつと書上げて見ただけでもかなりの數である。
充分に調べれば、まだまだあるものと思はれるが、しかし、芭蕉は確實に十七文字に戻つて行き、數々の名句を世に問ふた。
そこから引出される答へは一つである。
本來、發句とは定型のものであり、『自由律』とは相容れないものであると言へるだらう。
『自由律』は形式に囚はれる事はないが、發句となれば、たとへ破格とは云へ、より形式に近づかうとする姿勢が必要である。
押竝べて『自由律』と稱する人達の詩句は、調べを整へようとする意志が希薄であるやうに見受けられる。
「五七五」の十七文字の調べを、態(わざ)と壊(こは)して詩句を詠むのが『自由律』と稱するが故ならば、『自由律俳句』といふ名稱の許での句作りは、「五七五」の十七文字を壊さなければならないといふ不自由を味ははなければならなくなるだらう。
さうして、それを『俳句』といふ事には何の意味もないのではあるまいか。
筆者は發句をしてゐるといふ立場からではあるが、『俳句』に於ける「無季」や「字餘り・字足らず」といふ破格は是認出來るが、『自由律』と稱する『俳句』は認めたくはない。
『自由律俳句』といふ名稱は、『自由律』といふ名の許に『俳句』を抛棄(はうき)してゐる事に外ならないと思はれるからである。
それならば一層の事、『川柳・狂句』のやうに『俳句』といふ名稱は捨てて、他の呼稱を考へれば良いと思はれる。
それでも『自由律俳句』といふのが『俳句』ではなく、『自由律俳句』といふ固有の呼稱であると言ひ逃れるのであれば、それは友情出演で人氣者(アイドル)の藝能人(タレント)を、意味もない場面で使つて觀客動員數を水増しする行爲と同じであると言はねばならない。
芭蕉の死後三百年も經(た)つてから、このやうな『俳句』や『自由律俳句』といふ先祖返りのやうなものが俳諧の世界を席卷しようとは、芭蕉の考へても見なかつた事だらう。
とは云へ、それは芭蕉自身の發句の中にもその芽があつた事は、疑ひを入れない。
違ひは、それをどのやうに理解してゐたかといふ事である。
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 芭蕉
たびに やんで ゆめはかれのを かけめぐる
C♪♪♪ ♪♪†ζ┃γ♪♪♪♪♪♪♪┃♪♪♪♪†ζ┃
芭蕉の辭世の句が破格であつた事も、何か因縁めいてゐると思ふのは筆者だけであらうか。
一九八七昭和六十二丁卯(ひのとう)年十月二十四日
關聯記事
十、『破調』と『破格』に就いて(About discontinuation and disqualification)