この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
これは自作(オリジナル)の
『motion1(cembalo)』
といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。
雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。
『歴史的假名遣』に對する一般的な受取られ方
筆者は不思議に思ふ事がある。
それは『歴史的假名遣』に對する一般の人の接し方である。
何だか、被害者的な表現で氣が引けるのだが、それにしても『歴史的假名遣』に對する風當りは、少し許りきつ過ぎはしまいか。
現代假名遣を金科玉條のごとく使ふのは構はないが、『歴史的假名遣』への言はれのない攻撃には、ほとほと呆れてしまひ、降懸(ふりかか)る火の粉は振拂はなけなければならないのでは、と考へさせられてしまふ今日この頃である。
凡(およ)そ、一般では『歴史的假名遣』を「舊假名遣(きうかなづかひ)」と言ひ習はしてゐて、これは「現代假名遣」を「新」と考へ、それに對比して「舊(きう)」と呼んでゐる譯だが、そこには『歴史的假名遣』に對する侮辱と言つては餘りに刺激的に過ぎるかも知れないが、微(かす)かにしろ心理的な蔑(さげす)んだ目線を感じざるを得ない。
と言ふのも、明治期に西歐近代演劇を摂取した演劇運動が起き、これを「新劇」或は「新派」と言つたが、それは「能・狂言・歌舞伎」を過去のものとして排撃するかのやうにして、「舊劇(きうげき)」と呼んでゐたからで、明かにこれは「上から目線」の表現である。
今では誰も歌舞伎を「舊劇」と呼んだりはしないだらう。
それと同じやうに、筆者は『歴史的假名遣』を「舊假名遣」とは決して呼びたくはないのである。
幾度も言つてゐる事だが、『歴史的假名遣』の歴史はそれ程古いものではなく、西洋に追ひつく爲に教育制度を整備する必要に迫られた明治政府によつて制定されたもので、その範を萬葉假名の時代に求めた、江戸時代の契沖によつて提唱された「假名遣」を採用したもので、それまで任意に遣はれてゐた假名を統一したのである。
が、しかし、「假名遣」に於ける歴史そのものは、平安期の頃には既に混亂(こんらん)してゐて、それを藤原定家が「假名遣」を制定した事で、ある程度、とは言つても、文字文化そのものが當時は一部の特權階級の人々のもので、その範圍は極めて局所的なものでしかなかつたし、「定家假名遣」は「萬葉特殊假名遣」を研究して制定したものではなく、當時の音の高低によつた爲に、時として學問的な「契沖假名遣」とは異なつた表記法となつてしまつたのは、殘念な結果と言はねばならない。
その後、樣々な時代の變遷(へんせん)を得て、漸く「歴史的假名遣」を手にする事が出來たのである、
勿論、「契沖假名遣」も完璧ではなく、「萬葉特殊假名遣」の研究によつて新たに解明された言葉もあつて、つひ最近まで、
「或(あるひ)は」
と表記されてゐた言葉は、『岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎・編』によれば、
「或(あるい)は」
が正しく、「あるひは」と書くのは、後世の習慣から廣(ひろ)まつたものであるとの事である。
この由緒ある「假名遣」を使ふと、讀み辛いのなんのと言はれてしまふのであるが、一方で、若者がよく使つてゐる、今流行りの「繪文字」に對しては、それ程の抵抗を見せてゐない。
それは「年寄り臭い」とか、「古い」とか言はれたくないと思つてなのか、そこにどんな遠慮があるのかは解らないが、まるで「舊劇」を時代遅れと呼んだ「新劇」に批判をせず、寧ろ、喝采を與(あた)へた明治期の人々と、なんら變るところがないだらう。
筆者はその「繪文字」に就いても多少の意見がある。
「繪文字」を使用する事に對しては、當然のことながら否やはない。
けれども、問題がない譯ではない。
文字は、勿論、記號として「繪文字」となんら變るものではないが、ただ一點、發音される音があるかないかと言ふ違ひがある。
「『言苑』「ー」に就いて」
http://
で述べたやうに、讀む時に音がないと言ふのは致命的で、句讀點の「。、」でさへ「まる・てん」といふ音があり、「!?」にだつてきちんとした音を持つてゐる。
この「!?」も、
「本當か」
といふ時に「?」は使ひたくはない。
何故なら、「か」に「?」の意味があるからで、
「本當か?」
とすると、我らが愛すべき長嶋茂雄氏の言ふやうに、
「若い力の、ヤング・パワア」
といふやうなもので、重複する事甚だしい。
「本當?」
と、かうすべきであらう。
尤も、中々徹底しきれてはゐなくて、筆者も自戒とせねばならないのだが……。
「歴史的假名遣」は極めて論理的で、寧ろ、電脳(コンピイユウタア)に向いてゐる「假名遣」だと思はれる。
嘗て、「棒引假名遣」が取下げられたやうに、そろそろ舊に復する可きではなからうかさへ思つてゐる。
クラシツク音樂の世界に、韓德爾(ヘンデル)の「救世主(メサイア)」や、巴哈(バツハ)の「馬太(マタイ)受難曲(パツシヨン)」を演奏する時、少し前までなら、と言つても一九世紀から二十世紀初頭にかけての事だが、四管編成の管絃樂團で壮大に聽衆の前で演奏されたものである。
それがいつのまにか、バロツク音樂のみか古典派の莫差特(モオツアルト)の音樂にまで、當時の古樂器を使用して演奏されるやうになつたのである。
その響きのなんと美しい事か。
ことほど左樣に、『歴史的假名遣』を攻立(せめた)てずに、その美しさを味はつてもらひたいものである。
そんなのは無理だと思はれるかも知れないが、『歴史的假名遣』はこんにちでも立派に、誰もが知つてゐる書物の中で使用されてゐるので、多くの人が、もつと活用すべきであると考へられる。
何故なら、この國の根本である『日本國憲法』の表記の中に殘つてゐるのであるから。