音樂を解析す
音樂を鑑賞するとは、どういふ事だらう。
音樂には、伴奏的に聞く場合と、純粋に聽く時とがある、と考へられます。
伴奏的に聞くとは、『描寫音樂・標題音樂』等を聞く場合と、音樂を思ひ出の美化作用の引金として利用したり、映畫音樂のやうに効果音的に聞く場合、又、舞曲・行進曲・ラヂヲ體操等を目的として、使用される音樂が想ひ浮かびます。
更に言へば、歌詞のある音樂も、それに當(あた)り、例へば、流行歌の「北の宿から」を考へれば、この曲を聞いた時、歌詞の方に重點(じゆうてん)が置かれ、
「戀ひする、切ない女心。解るわ~ぁ」
てな事を思ひながら聞いてゐる譯です。
この時、音樂は雰圍氣を盛上げる悲しさがあれば事足りるのです。それよりも音樂が美しければ名曲といふ事になるのだらうと思はれます。
これは音樂ではなく文學です。音樂は文學の伴奏でしかありません。
音樂を好きだとか、理解したと云ふのは、大抵、かういふ場合が多いのです。
又、『描寫音樂』は、川の流れや嵐の状態を表現しようするもので、『描寫』されたものに、重きを置いてゐますし、『標題音樂』は、もう少し氣分の方に表現が傾いてゐますが、純粹に音だけを樂しんでゐない、といふ意味では同類だと言へ、『描寫音樂・標題音樂』の好例としては、ベエトオヴエンの『田園』を擧(あ)げれば、納豆喰ふ、ぢやなくて、納得されると思はれます。
それ以外にも、戀人(コヒビト)と別れた時とか、母が亡くなつた時、或いは絶望の淵で、もがき苦しんだ時に流れてゐた音樂、これは思ひ出の引金として利用した音樂で、目的は思ひ出の方に、重點が置かれてゐます。
更に映畫音樂のやうに効果音的に聞く場合は、例へば『スター・ウォーズ』の音樂を聞く時、その映像を思ひ浮べる爲の手段になつてゐると考へられます。
又、舞曲・行進曲・ラヂヲ體操等の音樂は、本來椅子に座つて聞くのを目的としてゐず、聞きながらも、つい體が動いてしまふと云ふ意味でも、目的が運動である事が伺ひしれます。
無論、以上のやうな味はひ方を、否定する氣はありません。
これも立派に鑑賞した、と言へるでせう。
以上第一囘目