落合直文(1861-1903)の文章にその音樂もBGMとして流さうと思ひつき、
『YAMAHA QY100』
で打ち込んで見た。
この音樂の作曲者は未詳でこの曲の原曲は、
『日本の愛唱歌1(明治・大正)・野ばら社』
に掲載されたものを手がかりにしたのだが、その樂譜には單旋律しかないので、それをそのまま發表したのでは、あまりにも素朴で長く聞いてゐる譯にも行かないだらうと考へ、
『YAMAHA QY100 孝女白菊の歌 編曲 高秋 美樹彦』
として編曲して發表する事にした。
『孝女白菊の歌』の音樂を解析すれば
行きがかり上、落合直文(1861-1903)の、
『孝女白菊の歌』
について述べる事になつて、その文章にその音樂もBGMとして利用するのに、
『YAMAHA QY100』
で打ち込んで見た。
調べてみると、落合直文はこれ以外にも、筆者も知つてゐる、
『青葉繁れる櫻井の(櫻井の訣別)』
といふ音樂の作詞もあり、これは明治二十三年に發表されたとある。
この『孝女白菊の歌』の音樂の作曲者は未詳(みしやう)で、これは當時(たうじ)の小學校で習ふ愛唱歌の殆(ほとん)どがさうであつたやうで、後年、それを詳(つまび)らかにしようとする動きもあつたやうだが、資料が不足してゐて、未(いま)だに作曲者の判らない曲も隨分(ずいぶん)あるさうだ。
この曲の原曲は、
『日本のうた1(明治・大正)・野ばら社』
に掲載されたものを手がかりにしたのだが、その樂譜には單旋律しかないので、それをそのまま發表したのでは、あまりにも素朴で長く聞いてゐる譯にも行かないだらうと考へ、編曲して發表する事にした。
さて、この曲は伴奏を附加してゐるのだが、主題に寄り添うやうに次々と變化(へんくわ)して行く伴奏をつける、所謂(いはゆる)、
「パツサカリア(Passacaglia)」
とでも呼べる形式で、これは變奏曲(ヴアリエエシヨン)の一種であつて、普通の變奏曲は主題(テエマ)が樣々に變化して演奏されるのに比べて、主題は變化をせずに助奏(オブリガアド)が姿を變へながら主題と絡(から)んで行く形式で、作曲家のブクステフウデ(1637頃-1707)や有名なところではバツハ(1685-1750)等がゐるが、それ以降ブラアムス(1833-1897)が出現して『交響曲第4番』の四樂章が發表されるまで(あるいは筆者が知らないだけでそれまでに他の作曲者の作品があるのかも知れないが)、新作としては歴史の中で埋れてゐた事になる。
嚴密に言へば違ふかも知れないが、伴奏が樂器によつてその數が次第に膨れ上がつて行くといふ意味では、ラベル(1875-1937)の、
「ボレロ(Bolero)」
と同じだと思へば判り易いだらう。
通常の變奏曲は、先程も述べたやうに主題が變化して行く樣を樂しむのだが、歌詞に影響を受けない器樂曲では、純粹(じゆんすい)に音の変化を樂しむ事が出來、それは例へばモオツアルト(1756-1791)の、
『キラキラ星による12の變奏曲 K.265』
を聞けば解る事で、この曲は『ABCの歌』とも言はれてゐるのだが、ケツヘル(1800-1877)の作品目録には、
『ああ、お母さん、あなたに申しませう (Ah, vous dirai-je, Maman) による12の變奏曲 K.265』
となつてゐる。
このモオツアルトの曲を聽く時、「ABC」だとか「キラキラ」光つてゐる「星」を思ひ浮べて歌詞に依存されるやうな鑑賞をする必要はなく、それは飽(あ)くまでも予備知識として辨(わきま)へておくだけでよくて、眼目(がんもく)は主題(テエマ)が如何(いか)に變化をして行くかを味はふのが目的の音樂である。
「變奏(へんそう)」とは「變装(へんさう)」とも通じてゐて、背廣(スウツ)を著(き)たり、和服を著たり、女裝してゐても中身が同一人物である事が判れば、その變装振りを感心したり、騙されたと感服する事も出來るのであるが、變装した人物を知つてゐなければ、變装もなにもあつたものではなく、變つた服を著たそれぞれの人物がゐるだけといふ事になつてしまふ譯で、音樂の場合でも主題を憶えてゐなければ、その變奏を樂しむ事は出來ないのはいふまでもないだらう。
從つて、主題のある事が理解出來なければ、『キラキラ星』の12の變奏といふ事を解析する喜びを味はふ事も出來ないから、約9分といふ長い曲があるだけといふ事になつてしまふ。
幸ひ、『キラキラ星』といふ曲が有名で覺え易いから、その變化に氣がつくのも簡單だが、ちよいと難しかつたり聞き慣れない曲だと厄介な事になる譯である。
更にもう一曲同じくモオツアルトのピアノソナタの「K.331」の第一樂章、
これを聽けば諒解出來るであらう。
筆者は變奏曲をよく料理に例へて説明するのだが、それを述べれば、
「最初に玉葱を見せられて、それをオニオンスライスとして皿に盛つて出され、次に味噌汁を呑むと具が玉葱で、そのあと天婦羅を食べるとコロモの中から玉葱が出て來て、さてそれから野菜炒めを頬張ると玉葱が入つてゐて、さういつた玉葱を具材とした食事を次々とだされて滿腹になつてから、店主(マスタア)御馳走さん、美味しかつたですと言つてお勘定を拂ふのだが、この時、主題(テエマ)が玉葱だと解つてゐなければ、單に空腹を滿たしただけだが、それが玉葱の變奏曲であつたと解つてゐれば、肉體的滿足と智的満腹感の二つのものが得られたといふ事になるのである」
かういふのを變奏曲といふのだが、ジヤズ(Jazz)はこの形式を利用して即興で演奏するのを愉しむ音樂であるといへるだらう。
ただ、基本的には最初に提示され主題を最後にもう一度提示する事で、この曲が終りますよと觀客に合圖(あひづ)をするのだが、それは玉葱料理の時に、食事の最後に玉葱を提示すれば同じ事になると思はれるのである。
更に言へば、藝術とは變化を樂しむもので、提示されたものが如何に變化して行くか、さうして變化がないと思はれるものにも、實(じつ)はそれまでに發表された作品を蹈まへて、それを變化させてゐる譯であり、例へば畫布(キヤンバス)の真ん中に縦に線を引いて安定感を示す事で、それを斜めにしたり、中央から外して不安感を表現する事も可能になるのであり、またある美しい景色に對して、穢(きたな)いゴミの中に美を見出すといふ新たな美を構築する事も出來るのである。
それは芥川龍之介が解剖された人體(じんたい)の内部を見て、美しいと言つたやうなものであらうか。
食事にしても、主食であるご飯に、澤庵や味噌汁、ハンバアグや焼き魚といつたオカズとの對比による變化を愉しんだり、カレエや丼(どんぶり)などにして食したりするのである。
この變奏曲で最も有名な主題(テエマ)曲として擧げられるのが、
『ラ・フオリア』
といふ曲で、
「リユリ・マレ・スカルラツテイ・ヴイヴアルデイ・コレツリ・PCE.巴哈(バツハ)・サリエリ・ジユリアアニ・李斯特(リスト)・ポンセ・拉赫瑪尼諾夫(ラフマニノフ)」
や、
「嶋津武仁・新実徳英」
といふ日本の作曲家によるものまであり、バロツク期から現代の作曲家に到るまで、幅廣く愛用されて作曲家の腕を競つてゐるテエマ曲である。
Giuliani
Variazioni sul tema della Follia di Spagna
OP 45
∫
さて、音樂は器樂曲と聲樂曲とに分類出來ると思はれるが、それを蹈(ふ)まへて筆者は音樂を三つに分類して考へれば解りやすいと思つてゐる。
一つは「A」「B」といふ變化によるもの。
二つは「A」「A´」「A´´」といふやうな變奏曲。
三つは歌詞のある聲樂(せいがく)曲。
以上のやうに大別したとして、この曲は三つめの「聲樂曲」に當(あた)る譯だが、聲樂と雖(いへども)も形式はあり、この曲は所謂(いはゆる)一部形式で、四小節を一樂節として全部で八小節の二樂節を「A」とする音樂であり、あと「B」の部分に當(あた)る二樂節を足せば全部で四樂節(十六小節)の二部形式となるのだが、この曲は先に述べたやうに童謠に多く見られる一部形式である。
Schuman Frohlicher Landmann(樂しき農夫)
しかも聲樂曲としては「有節歌曲」といふ事になり、それは歌詞が一番、二番と續いて行つても一つの旋律で歌はれる形式の事で、多くは三番まであるのが一般的で、二番までだつたり、四番までだつたり、稀(まれ)には一番しかなく、一番が終つたあと、曲の途中まで演奏して寂(さび)の部分から歌つて終へるといふものもあつたり、さうかと思ふと、「鉄道唱歌」のやうに何十番もあつたりする。
この曲の歌詞は數へてみたら二百七十六行もあつて、三行で一節となるので九十二番まである事になる。
それに對して「通作歌曲」といふものがあり、これは詩が二節、即ち二番以上からなる詩の各節に異なる旋律をつけた曲といふ事になるのだが、バツハの頃の「ダ・カアポ・アリア」などもこの類(たぐひ)で、代表的なところでは、
モオツアルトの『すみれ』
や、
シユウベルトの『菩提樹』
『セレナアデ』
などが揚げられるのだが、その意味では「有節歌曲」は歌詞が變奏(?)してゐて、「通作歌曲」は曲が變奏してゐるといふ事になる譯である。
音樂の基礎知識的な解説は前囘で終る事として、
『孝女白菊の歌』
の音樂の分析に入りたいと思ふ。
1、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(主題・Theme)』
第一曲目の解説に入れば、葦笛(パンフルウト・Pamphlet)による「四分の二拍子」の「二樂節(八小節)」の獨奏で、哀調を帶びた民謡風の主題(テエマ)が提示されるが、民謡風といふのは「シ(B)」から始まつて「ミ(E)」で終るといふ事でも、その事が證明されるものと思はれる。
といふのも、ハ長調の場合だと「ド(C)ミ(E)ソ(G)」のいづれかから始まつて、「ド(C)」で曲を終へるのが西洋音樂から見れば一般的で、例外もあるが、多くは五音階(ペンタトニツク)の民謡を引用した場合で、モオツアルトの「交響曲第40番」のやうに「フア(F)」から始まる曲なんかは極めて珍しいものだと云へるだらう。
因みに、「ド(C)」で終れば長調(メジヤア・明るい曲)といふ事になり、「ラ(A)・ド(C)・ミ(E)」のいづれかで始まつて「ラ(A)」で終るのが短調(マイナア・悲しい曲)といふ事になる。
2、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏1)』
第二曲目は、壜(ボトル・Bottle)で主題が演奏され、葦笛(パンフルウト)が輕くそれに彩りを添える程度で、大きな變化はない。
3、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏2)』
第三曲目は、二曲目の伴奏の音を伸ばしただけで、これも大きな變化は見られない。
4、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏3)』
第四曲目は、初めて對旋律(たいせんりつ)とも呼べる序奏(オブリガアド)が表れて、單なる伴奏ではない獨立した旋律のある音樂になつて、多聲音樂(ポリフオニイ)の樣相を呈してゐる。
近年の音樂ではボロデイン(1833-1887)の『中央アジアの高原にて』が好例と言へよう。
5、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(間奏1)』
第五曲目は、その對旋律を利用して間奏の音樂として絃樂器で演奏されるが、それにまた別の旋律が絡んで一曲となつてゐる。
6、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏4)』
第六曲目は、合唱(コオラス)が主旋律を歌ひ、絃樂器が足取りを表現するかのやうに音を刻み、それを保持するやうにボトルの音が支へてゐる。
7、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏5)』
第七曲目は、絃樂器が主旋律を奏(かな)で、合唱が下降音で月日の經過(けいくわ)を感じさせるやうに、陽の光や木葉や雨や雪などの降り注ぐものの表現をしてゐる。
8、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏6)』
第八曲目は、合唱の主旋律に葦笛が淋しさうな音で纏(まと)はりつき、まるで山奧にゐるかのやうな孤獨感を深める。
9、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏7)』
第九曲目は、夜も更けた星空の下、孝女白菊は行く當(あ)てもなく途方に暮れてゐる。
しかし、歩みは止めない。
10、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(間奏2)』
第十曲目は、葦笛とボトル、さうして絃樂器による間奏。
11、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏8)』
第十一曲目は、恰(あたか)も、鈴を鳴らして巡禮するかのやうに旅を續ける、可憐な白菊の足取りを描寫してゐる心算(つもり)なんだが、果して……。
12、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏9)』
第十二曲目は、行方も定めぬ父や兄を探す旅はいよいよ闇を深め、餘(あま)りにも広大無邊の世界にゐる白菊の俯瞰(ふかん)的な音樂となつてゐる。
13、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏10)』
第十三曲目は、カノンあるいは遁走曲(フウガ)で書かれ、孝女白菊が父や兄弟を探してその名を叫んでも、谺(こだま)しか歸つて來ない寂しさを表現してゐる。
これを應用して、佐藤春夫(1892-1964)の『夏の我が戀』といふ詩に作曲をした時、前奏で角笛(ホルン)に應答して同じ樂器の山彦が返つてくるのだが、後奏では都會へ出て行つてしまつた戀しい女性が歸らないので、角笛が鳴つても谺は返つて來ず、寂しく曲を終へるのである。
これも近々、發表したいと思ふ。
ところで、「谺・山彦・谺」といふ表現は、「二部形式」あるいは「ダ・カアポ・アリア」といふ形式と類似してゐるのをお解りだらうか。
14、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(伴奏11)』
第十四曲目は、第十三曲目と同じやうに、しかし音程は下がつて、だが父や兄弟が見つかつてはゐないので、物語はまだ半ばである事を示唆(しさ)して後奏へと移行するのである。
15、YAMAHA QY100 落合直文(1861-1903)作曲者未詳『孝女白菊の歌(後奏)』
第十五曲目は、後奏は間奏の音樂と同じ曲で、ただ第一樂節の三、四小節を、第二樂節で倍に伸ばす事で終止感を與(あた)へて曲を終へるのである。
が、もし必要ならば、長歌の内容に合せて伴奏を追加して、九十二番まで全ての事件を髣髴(はうふつ)とさせる音樂にする事も可能であるのはいふまでもない。
尤も、そこまでしようとは思はないのだが。
關聯音樂
14、『孝女白菊の歌』の音樂あり 『新体詩 聖書 讃美歌集(新日本古典文学大系 明治編12 岩波書店)』 摂取本(セツシボン) より
http://